深津絵里、オダギリジョーら“エイジレス”な俳優たちが表現した『カムカム』の100年間

 『カムカムエヴリバディ』(NHK総合)がいよいよ最終週へと向かう。朝ドラの最終盤ともなれば主人公が歩んできた道程と、半年をかけてドラマが紡いできた物語をふりかえって感慨ひとしおとなるものだが、こと『カムカムエヴリバディ』においては、ヒロインが3人であればその思いも3倍といったところだろうか。第1話の1925年、安子(上白石萌音)が誕生し、ラジオ放送が始まった日から数えて「思えば遠くへきたもんだ」と、しみじみしてしまう。

 第1週について論じたコラム(「日々も、人生も、続いてゆく 『カムカムエヴリバディ』が描く“時間”の巧みさ」)で、筆者は「続いてゆく」というキーワードをタイトルにもってきたが、まさにこの作品の要は「連続性」だった。「安子編」「るい編」「ひなた編」の100年にわたる連続性。それを描くために大きく貢献したのは、作劇に施されれた「再演」「ロングパス」「志の継承」などの巧みな仕掛けもさることながら、キーパーソンとなる人物を演じる俳優たちの“エイジレス”な存在感であったことも忘れてはならない。

 まず、第8週「1951-1962」、深津絵里の初登場シーンに息を呑んだ。そこに立つのはまごうことなき17歳の少女であった。演者の実年齢に対して驚異的な「若見え」だとか「美肌」だとか、そういう次元の話ではなく(もちろん深津絵里が美しいことは言うに及ばずだが)、彼女は役ごと、設定年齢ごとの「魂」を作り出せる俳優であると思い知らされたのだ。

 近年ではもっぱら映画や舞台に活躍の場を移し、本作が13年ぶりの連続ドラマ出演となる深津絵里がるい役にキャスティングされたと聞いた時点で、期待値はかなりのものだった。なにしろ、三蔵法師(『西遊記』)からパラサイト(『寄生獣』)まで、殺人犯を愛する寂しい女(『悪人』)から天然なお母さん(『サバイバルファミリー』)まで、死んだ夫の魂と旅する妻(『岸辺の旅』)から、ドジキャラ弁護士(『ステキな金縛り』)まで。どんな役も縦横無尽に演じきることのできる俳優だ。波瀾万丈なるいの人生を演じられるのは深津をおいて他にいないと、脚本家の藤本有紀が熱望したのも頷ける。

 三世代のヒロインのなかでるいは、最も内面の複雑さが際立っていた。「るい編」は、深い傷を抱えた少女が愛に覚醒し、逞しさとしなやかさを身につけ、トラウマを乗り越え「ひなたの道」を歩きはじめる物語だ。長い長い時間をかけた「内面の変化」を、深津の身体表現と表情が雄弁に語っていた。

 分厚い前髪で額を覆い、読書と妄想の世界に逃避しがちな少女だったるいが、40年の時を経て、額の傷も気にせず髪型をベリーショートにして、回転焼きを焼きながら朗らかに歌を歌っている。酒屋の森岡(おいでやす小田)にお世辞を言われて「アッハッハ、いや〜〜」と手のひらをクイッと折り曲げる「おばちゃん仕草」をしてみせる。それだけで胸に熱いものが込み上げる。るいが重ねてきたこの「年輪」は、深津絵里のこれまでの俳優活動の集大成であり、新境地と言ってもいいのではないだろうか。

 そして、共白髪になるまでるいと並んで「ひなたの道」を歩むことになる錠一郎。この役にオダギリジョーを配役することも、藤本有紀の強い希望だったという。登場から4カ月間見守った視聴者からしても「この人以外はありえない」と思えるハマり役だ。オダギリは若年期の錠一郎を演じるにあたり「説明的に20代を演じようとするよりも、何歳であろうと人間が持つ感情や感覚的な部分を表現することを重視していました」とコメントしている(「オダギリジョー、『カムカム』の現場を絶賛 『大阪の情が滲み出ている愛すべきチーム』」)。オダギリもまた、「魂」のチューニングを自在に操れる俳優だ。

 穏やかで飄々とした佇まいで、るいを精神的に支える夫。ひなた(川栄李奈)と桃太郎(青木柚)にとっては優しいお父ちゃん。しかしその陰で、錠一郎が人知れず苦しみ続けていたことが明らかになる。トランペットを失ってから壮年期にかけての錠一郎の「長い年月」が、シーンでは描かれなかった内なる葛藤と静かな悲しみが、オダギリジョーの芝居によってくっきりと浮かび上がってきた。

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