『妻、小学生になる。』で思う、人が生きる意味 “貴恵がいた”温かな記憶が紡いだ風景

『妻、小学生になる。』で思う人が生きる意味

「ご飯は元気のもとよ」

 きっと新島貴恵(石田ゆり子)は、この10年の間、遺した家族のもとへやって来ては、何度も何度も語りかけていたのだろう。しかし、その声は届かず、夫・圭介(堤真一)と娘・麻衣(蒔田彩珠)の食卓は荒むばかり。

 まるで生きることを拒むかのような生活を、貴恵は見ていられなかった。白石万理華(毎田暖乃)に憑依してきた意味。それはしっかり食べて、しっかり生きてほしい。自分がいなくなっても、それだけは忘れないで、と伝えるためだったのだろう。

 金曜ドラマ『妻、小学生になる。』(TBS系)。最終回・前編と銘打たれた第9話は、「家族再生の物語」らしく、新島家、そして白石家が10年前からズレてしまった生活を見直していく。

 憑依していた貴恵が万理華に体を返したことで、以前の暮らしに戻ってしまうかと思われたが、そうはならなかった。万理華の母・千嘉(吉田羊)はシチューを作る。それは万理華の中に貴恵がいた際「私はお母さんの味方だよ」の言葉と共に手料理を作ってもらった、温かな記憶が紡いだ風景だ。

 食べることが生きることに直結するように。美味しい料理を知ることで、誰かに作ってあげたい気持ちが生まれるように。愛されることが、愛することに繋がっていく。母親から搾取される形で育った千嘉にとって、貴恵との日々は初めて知った家族の愛だったのかもしれない。

 貴恵と千嘉の間には、もちろん血の繋がりはないし、ましてや同世代。母と娘と呼ぶには難しい関係性だが、それでも時として人は誰かの親のごとく愛情を注ぐことができるし、子として学ぶことができるのだ。

 千嘉は万理華に、貴恵のことをこう話した。「いっぱい優しくしてくれたのに、ママ何もお返しできなかった」と。その言葉は、新島家でも聞こえてくる。

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