『映画ドラえもん』を初めて観た大人が感じたこと のび太やジャイアンは自分の心の中に

『映画ドラえもん』大人だからこそ感じること

 絶賛公開中の『映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021』を鑑賞した。「『ドラえもん』が何より好きだ」という息子にせがまれたからだ。

 実は、筆者は『ドラえもん』をまともに観るのが初めてだ。というのも、この国民的アニメをどうしても受け入れることができなかったからだ。

 だが、腰を据えて観たら考えが変わった。今日は、そんな筆者の心変わりなどについて語っていこうと思う。

 まず初めに、筆者がなぜ『ドラえもん』を受け入れられなかったのかを説明しよう。どのキャラクターにも共感できなかったからだ。共感できなければ、ストーリーに入り込めない。

 筆者が抱いていたメインキャラクターたちの性格は次の通りだ。少々極端かもしれないが、どうか許してほしい。

 のび太は努力が嫌いで他力本願。ドラえもんは、すぐにひみつの道具で問題解決を図り、のび太を甘やかし、のび太の独立心を成長させる機会をことごとく奪う。ジャイアンは、わがままボディで暴力的。スネ夫は、親が金持ちということがアイデンティティで人を見下す。そして、マドンナ的ポジションのしずかは、中立的な立場を取るイイ子ちゃんだ。

 80年代のハリウッドマッチョ映画をこよなく愛し、日本のアニメなら『シティーハンター』一択という筆者の心に響く要素は皆無と言っても過言ではなかった。

 しかし、息子が『ドラえもん』にハマった。きっかけはAmazon Prime Videoで見つけたからだったと思うが、シリーズの全てを観ただけでなく、小学館の『ドラえもん』学習漫画、大長編、そしてコミックを揃えるほど夢中になったのだ。

 当然だが、『映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021』も誘われた。そして、筆者は生まれて初めて『ドラえもん』を映画館で鑑賞したのだ。

 『映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021』は、1985年に出版された大長編ドラえもんVOL.6『のび太の宇宙小戦争』が原作となっており、同年に映画化された同名作品のリメイクだ。

 本作では、他国の戦争に巻き込まれたのび太たちの様子が描かれている。手のひらサイズの宇宙人の戦争ということもあり、のび太たちは軽い気持ちで戦争に参加するが、スモールライトでパピ(本作のメインキャラクター)と同じサイズになり、諸事情で元の大きさに戻れなくなってしまう。それまで脅威と捉えていなかったものが、急に恐ろしくなる。戦争が自分ごとになったときからの、各キャラクターの行動が興味深い。

 中でもスネ夫は素晴らしかった。対岸の火だと思っていた他国の戦争に対する、一般市民の声を代弁しているようだ。対する残りの4人は、子ども特有の無謀さと正義感で敵地に乗り込む。各々に葛藤はあるのだが、スネ夫ほど戦争をリアルに恐れてはいない節がある。しかし、最後は足並み揃えてパピの故郷・ピリカ星のために戦うのだ。

 一連の流れを見ていて、感じたことがあった。それはのび太たちは、人間の造形をしたキャラクターでありつつも、概念や感情を具現化したものであり、単体で完成した人間ではなく、5人でひとりの人間なのではないだろうか……と。

 2015年にピクサーが『インサイド・ヘッド』という感情たちをキャラクター化したアニメーション映画を作ったが、あれよりも少し複雑な概念がのび太であり、しずかであり、スネ夫やジャイアンなのだと考えたのだ。

 なぜかというと、今まさに起きているロシアとウクライナの戦争をニュースで見聞きして思うことが、5人の気持ちと当てはまるのだ。自分と対照的であってほしいジャイアンの言動にさえ共感できてしまったときに、各キャラが自分の中に存在する感情を代弁しているような気がした。彼らのうちの特定の誰かに自分を投影することはできないが、5人全員を自分の中に存在する感情に当てはめて考えるなら理解できる。そう気づいたら、『ドラえもん』に対する長年の負の感情が少しずつ消えていくような気がした。

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