『余命10年』原作を昇華させた見事な脚色 藤井道人監督の強い思いも感じる一作に

『余命10年』が教えてくれる日常の幸せ

「今日が人生最期の日だとしたら、今日の予定をこなしますか?」

 アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズが、毎日鏡に向かって自問自答していたとされる有名な言葉だ。それが1日という短いスパンでなくても、自分がいつか死ぬと真剣に感じる時が来たら、おそらく見える景色は今とは全く異なるものだろう。現在公開中の『余命10年』からは、そのような思いが映像にのっているように感じられた。

 『余命10年』は原作者の小坂流加さんが2007年に書籍化した同名小説を、藤井道人監督が映像化。原作の特徴としては、他の商業作品とは異なり、自費出版からスタートしている点が挙げられる。自費出版も手がける文芸社から発売され、文庫化の際には自費出版からスタートした作品としては異例ともいえる60万部以上を売り上げている。

 なぜそれだけヒットを記録したのか。その秘密の1つは原作者の小坂さんが、実際に余命10年の宣告を受ける病気を患っており、その闘病生活の中で本作を手掛けたという点にある。作品そのものはフィクションであり、直接的に小坂さんの体験を描いたノンフィクションではないが、闘病中の死生観などの思いが想像させられる作品となっている。

 小坂さんは2017年に亡くなっており、その思いを受け取って映像化を務めたのは藤井道人監督だ。近年では『新聞記者』や『ヤクザと家族 The Family』などの、社会性を強く反映した作品を手がけているイメージもあるために、驚いた映画ファンもいるのではないだろうか。

 今作を手がけるにあたり、制作陣は原作を大きくアレンジしている。原作では主人公の高林茉莉(小松菜奈)はコスプレが好きで漫画家志望の女の子として描かれているが、映画版ではアニメに関連した話はなくなり、小説家を目指すフリーライターとして描かれている。また相手役の真部和人(坂口健太郎)も茶道の家元の息子という設定が変更され、親に勘当された孤独な青年として描かれている。

 これらの大胆な設定の変更からは、今作に対するある1つの思いが見えてくる。それは作品を完全なるフィクションとして描かず、原作者の小坂さんの思いを反映させたような物語にしようという意志だ。高林茉莉という架空の人物の物語だけでなく、その作品を生み出した小坂さんの人生を反映させることで、絵空事でない、現実をも投影した物語としての強度を増すような構成になっている。

 本作は余命もの、あるいは難病ものというジャンルに該当するだろうが、それらの作品の多くがほぼフィクションであるのに比べ、今作はノンフィクションとしての要素も一部で含まれていることも、特徴の1つと言えるだろう。

 藤井監督は過去作である『青の帰り道』にて、高校生の少年たちが成長し変化していく自分の人生と、思い通りにならない現実に対するギャップに苦しむ様を肯定的に描いてきた。今作も病に苦しみながらも、必死に生きた証を遺そうとする高林茉莉の姿を描くことで、人が生きることの意味を肯定的に描いている点で、自身の作家性を発揮している。

 2人の恋愛関係だけがこの作品の注目ポイントではない。2人を取り巻く様々な人々、つまり両親や姉妹などの家族、あるいは友人、主治医など多くの人々がどのような気持ちで茉莉と接してきたのか。あるいはそれらの人々の善意ある行動にどれだけ茉莉が助けられて、同時に傷づけられたのか。それらを描き連ねていくことによって、高林茉莉という人物が立体感のある人間として描かれていく。

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