『劇場版 呪術廻戦 0』で描かれた、五条悟が“最強”である所以 夏油との別れと夢想
最強の男といえば、五条悟。アニメ『呪術廻戦』では両面宿儺の器となった虎杖悠仁、『劇場版 呪術廻戦 0』では呪われた乙骨憂太、2人の主人公を導くメンターとして活躍する存在だ。劇場版で一人だけやたら唇に潤いがあるなど、作画やビジュアルにこだわりが見えたキャラクターでもある。ビジュアルといえば、アニメ版の時と違って、目隠しが包帯になっていた。虎杖が登場するより1年前の出来事を描いた『呪術廻戦 0』。作者の芥見下々は、包帯から黒い布への変更理由は「作画的なコスト」であると述べているが、果たしてこの1年で五条の変わった点は目隠しだけだろうか。
教師としての夢想
まず、劇場版の五条において印象深い点は「教師としての顔」である。実はアニメ版では虎杖に対してこそ呪力の使い方の説明をしたり、伏黒と手合わせをしたりするシーンがカットインされていたが、どことなくそれは個人指導であって、“先生”というより“チューター”に近い雰囲気だ。野球回やじゅじゅさんぽなどでも、生徒と一緒にふざける姿が目立つ。しかし、劇場版では禪院真希、狗巻棘、パンダに乙骨を紹介する際、形式的ではあるが転校生を紹介する先生としての役を全うしている。そしてその後の課外授業に付き添ったり、運動場で特訓する乙骨の様子も離れたところで見守ったりしていた。アニメ版に比べると、より生徒たちと行動を共にしているような印象なのだ。
乙骨のことについて上層部に掛け合う場面は、虎杖の時には描かれていなかったが同じように牽制して守っていたのだろう。
「若人から青春を取り上げるなんて許されていないんだよ。何人たりともね」
もともと、本人ですら「自分は教師なんて柄じゃない」と話していた五条が教鞭をとった理由、その意志や彼の夢想が垣間見える重要なシーンが劇場版には散りばめられていた。アニメ版では常にひょうひょうとしていた五条だが、劇場版はそんな彼にとって「親友との別れ」という大きな出来事が描かれている。
夏油との過去、そして別れから見える五条の変化
今回の劇場版で特筆すべき点は、『呪術廻戦』の原作8巻〜9巻にあたる「過去編」のシーンが組み込まれていたことだ。もともと、『0巻』の原作では夏油との過去に何があったのかは描かれず、ただ「もともとの親友で高専を離反した人物」としか描写されていなかった。しかし本作では、離反した夏油が五条の前に最後に姿を現した新宿でのやりとりを入れることで、そこで五条が(おそらく手の形的に)虚式「茈」を放って彼を殺そうとし、思いとどまって逃したことの一連がわかるようになっている。もちろん「過去編」にはそこに至るまでの重要なやりとりがいくつも描かれているが、新宿でのシーンはその短い会話の中で多くがわかる場面になっている。
まず、人通りが多い中で迷わず「茈」を撃とうとした点。アニメ第20話「規格外」を観ればその威力が周りの人間はおろか建物まで数十メートルにわたって抉り削るほどのものであることがわかる。ここで、重要なのは彼がそれを撃たなかったことへのためらいが、周囲を巻き込むことではなく夏油を殺すことに対するものだったこと。つまりこの時点で、彼は一般人にコラテラルダメージが及ぶことを気にしていないのだ。「過去編」を読むとよくわかる通り、もともと五条は気性が荒く、モラルも低かった。その当時、彼が善悪の指針にしていたのは夏油の考えだったと、作者の芥見も公式ファンブックで明言している。五条にとってのモラルの判断基準となっていた夏油の離反。それは、彼にとっての善悪の価値観の崩壊でもあった。芥見は同誌で続けて「夏油が呪詛師になった後、五条は荒れなかったのか?」という質問に対し、「その後の方がしっかりとしてそう」と答えている。崩壊した価値観は、自ら再構築しなければならない。その中で、彼は一つの夢を胸に、「唯我独尊」を体現していた自分から、強く聡い仲間を育てる「教育者」になることを決める。
もともと、高専時代に夏油が掲げていた「弱きを助けるのが強きものの責任」という考えが揺るぐきっかけになった「星漿体の護衛任務」の後、彼が激務に追われて憔悴するなかで起きた後輩の死。これは本来「二級呪霊の討伐任務」のはずだったのに、実際は「一級レベルの産土神信仰の土地神の討伐」だったことが死因となっていた。虎杖と伏黒恵、釘崎野薔薇の1年組が少年院に派遣されたときと同じように、本来の等級に合わないアサインも上層部のすること。そういった“腐ったミカンのバーゲンセール”の上層部を壊滅させることは、五条にとって容易いことだった。しかし、それをしたところでメンバーが変わって上層部自体の理念を変えることはできない。そしてそのやり方では、誰もついてこない。だから五条は、柄でもない「教育」を選択したのである。そんな夢想が、「世界の変革」という文脈では夏油と同じことをしたがっていたという事実が、なんとも悲しい皮肉だ。