藤本有紀の“スパルタ脚本”を成立させた上白石萌音の演技力 『カムカム』安子編を読む

『カムカム』安子編が描いた“I”の物語

 誰かが誰かのために「良かれ」と思ってしたことが、必ずしも幸福をもたらすとは限らない。この皮肉なれど真理が、痛いほどに突き刺さった『カムカムエヴリバディ』(NHK総合)「安子編」の終盤だった。

 第1週「1925-1939」のナレーションで「甘いお菓子やおしゃれが好きな、ごく普通の女の子」と紹介され登場した安子(上白石萌音)が、第8週「1951-1962」では最愛の娘・るい(古川凛)を置いて元進駐軍のロバート(村雨辰剛)とともにアメリカへ渡るという、“狂気の退場”を遂げる。藤本有紀による“スパルタ脚本”と、上白石萌音の凄まじい演技力に慄くばかりだ。

 家族の愛に育まれ、大好きな岡山の町で過ごす小さな幸せだけを願っていた安子。そんな彼女が稔(松村北斗)と出会って恋に落ち、英語を学ぶ喜びを知り、戦争未亡人として波乱万丈な人生を送る。その物語には、横軸に「安子の自我の目覚め」が、縦軸には「家制度の足枷」が常に介在した。

 戦時中、「たちばな」存続のために父・金太(甲本雅裕)が砂糖会社の次男と見合いをさせようとした時、安子は家のために一度は受け入れようとした。しかし、やはり稔との恋路を諦めきれず「あなたとひなたの道を歩いていきたい」と誓う。ここに最初の大きな「自我の目覚め」があった。稔の出征をきっかけに結婚を叶え、一粒種のるいを授かる。稔が不在の間も彼を近くに感じようと、安子は密かに敵性語である英語を学び続け、るいへの子守唄として「On the Sunny Side of the Street(ひなたの道を)」を歌い続けた。

 稔が戦死すると千吉(段田安則)は安子に再婚を勧め、「雉真の子」であるるいは置いていくようにと促す。しかし安子はそれを拒み、るいと2人で家を出る。幼いるいを背負い、芋飴やおはぎを売る大阪での暮らしは、安子にとって初めての「自活」であった。爪に火を灯す暮らしではあったものの、「カムカム英語」を心の支えに、充たされた2年間であったはずだ。しかしそんな生活もやがて限界を迎える。「雉真の子」としてるいに真っ当な教育を受けさせたいと、千吉が迎えに来たのだ。安子は自分の稼ぎだけででなんとかこの暮らしを守りたいと無理を重ねたばかりに、事故を起こし、るいは一生残る傷を額に作ってしまう。

 あの時大阪に出なければ、あるいは、あの時千吉に言われてすぐに岡山に戻っていればーー。ここからドミノ倒しのように崩れていく安子の人生を思うと、無数の「たられば」が思い浮かぶ。しかしよほどの財力、よくよくの強運、人並外れた才能でもない限り、当時の女性にとって自力での「自己実現」や「成功」など、夢のまた夢だった。これが、スーパーウーマンではない、どこにでもいる「ごく普通の女の子」であった安子の人生であり、戦争未亡人の現実だ。千吉の申し出はいつでも、当時の「一家の当主」としては真っ当なことだったし、彼なりの最善策だったのだろう。結局、安子がおはぎを作ったり英語を学び続けられたのも、雉真家のサポートあればこそだった。

 彼女をとりまく状況が厳しくなればなるほど、安子の「自我」と「業」が立ち上がっていく様が壮絶だ。上白石萌音の真に迫る芝居に息を呑んだ第29話、ロバートに「なぜ英語の勉強を続けるのか」と問われるシーンが「安子編」の転換点と言える。安子が英語で語り出すうちに発した「Why did he have to die?(どうして彼は死ななくてはならなかったの?)」「It’s so ridiculous!(ばかげてます!)」という鬼気迫る言葉。それは、るいの母親として、雉真家の嫁としてのペルソナをかなぐり捨てた、1人の人間としての咆哮だった。考えを述べるときには必ず「I」が文頭に来る「英語」という言語の力を借りて安子は覚醒し、この瞬間に初めて「個」を叫んだのではないだろうか。

 折にふれ、ロバートや親友のきぬ(小野花梨)が訊ねる「安子自身はどうしたいのか」という問いに、安子は自問し続ける。兄・算太(濱田岳)と共に「たちばな」を建て直し、英語を活かしていろんな国のにたちばなのお菓子を食べてもらう。そしてその背中をるいに見せ、るいに笑ってもらいたい。これが、やっと形の見え始めた安子にとっての「自己実現」だった。

 しかし、その願いがかえって安子とるいとの幸せな暮らしを遠ざけてしまう。千吉は安子に勇(村上虹郎)との再婚を勧め、るいの傷の治療には「たちばな」の小商では太刀打ちできない莫大な金額がかかると告げる。女中の雪衣(岡田結実)が勇と関係を持って子を宿す。たちばな再建のために蓄えていた貯金を算太が持ち逃げして行方をくらます。

 初めは誰かのための「良かれ」だったことが、思ってもみない方向に作用してしまう。人生とは、かくも皮肉なものなのか。詰将棋のようにひとつ、またひとつと、安子の選択肢が絶たれていく。るいのためを思って身を引く決意と、自分自身の人生を生きたい「業」とが交錯する安子の複雑な心情を、上白石萌音が見事に演じきり、視聴者に投げかけてきた。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「国内ドラマシーン分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる