『ホークアイ』は何を描いていたのか クリントをふたたびニューヨークに立たせた真意

 また、一方でクリントは、犯罪組織の一員である“エコー”ことマヤを正しい道に引き戻そうと尽力してもいる。クリントは自身のことを「武器」と呼び、心を操られることで利用されることの危険性をエコーに伝える。それはギャングによる犯罪以外の、もっと大きく言うなら、戦争など国家的犯罪にも繋がる話だ。

 2001年のアメリカ同時多発テロでは、ニューヨークの多くの市民の命が奪われた。その喪失感はアメリカの人々に広く共有され、大勢の志願兵を生むこととなった。しかし、アメリカ政府は大量破壊兵器を所持していないイラクにも大規模な爆撃、軍事作戦を行い、大勢の一般市民をも殺害することとなった。さらには、軍人たちがテロの容疑者を非人道的な方法で拷問していたことも明らかとなり、アメリカの“対テロ戦争”の正当性に疑問が持たれる事態となる。

 クリントがローニンとして活動していた背景には、やはり家族を失った深い悲しみがあった。本シリーズでは、その感情が利用されて、正しいことを行うヒーローでなく、ただの「武器」となってしまったことへの悔恨が示唆されるのである。それは、一部のアメリカの兵士の悔恨を代弁するようでもある。

 そしてケイト・ビショップは、ニューヨーク決戦での思い出を語ることで、クリントにアベンジャーズとしての戦いの意義を思い出させることとなるのだ。つまり、クリントは3人の新たなヒーローと出会うことによって、また前を向いて歩けるようになっていくのだ。そしてこの物語は、3人の幽霊によって1人の男の魂が救われるまでを描いた、チャールズ・ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』が描いた、“クリスマスの奇跡”をも想起させられるのである。

 さて、ケイトは新たな“ホークアイ”になることができたのだろうか。そして、クリントは引退することとなったのだろうか。ラストシーンでは、ケイトが自分のヒーローネームをクリントに提案して、クリントがそれを次々に否定する場面が描かれる。そして、クリントが「いいのを思いついた!」と言った瞬間に、本シリーズのタイトル“ホークアイ”が表示されるという趣向になっている。素直に演出を読み取れば、この瞬間に「ホークアイ」は彼女に移譲されたと考えることができる。ジェレミー・レナーの今後の関連作の出演は現状未定となっていることから、これで見納めとなる可能性もあるかもしれない。

 だがその一方で、恒例のおまけ映像では、意味深な内容が描かれている。それはクリントが途中で退席した、ブロードウェイの舞台のクライマックスの模様だ。そこで出演者たちは、「まだやれるぞ! まだやれるぞ!」と歌い上げるのだ。考えようによっては、これはクリントのホークアイ続投の可能性も暗示しているといえる。ここは、今後のレナーとの出演交渉や契約次第で、どちらにも転べるようなバランスにしたと見るのが正解かもしれない。

 とはいえ、このミュージカル映像は、そんな邪推とは関係なく、単純に楽しく観ることもできる。第1話でこそ、クリントに対して失礼で暴力的な内容とも感じた舞台だが、あらためてしっかりと映し出されると、意外に心に沁みるものだったということが分かるのである。それは、ニューヨークの一般市民たちがアベンジャーズと心を合わせて困難に立ち向かう描写があるからだ。

 ニューヨークで起きたアメリカ同時多発テロの行方は、たしかにアメリカの報復的な軍事攻撃や、それにまつわるいくつもの問題によって、“正義の戦い”だと胸を張って言うことはできなくなっている。だが、ニューヨークで多くの市民が犠牲になった日、警察や消防の救助隊員や救助犬などの人々が、少しでも多くの人命を救うため、危険を顧みずに、捜索や人命救助にあたり、大勢の市民が喪失感を味わいながらも復興のために尽力したことは事実だ。そのこと自体は、掛け値なしにヒーローの仕事といえるだろう。そして、その気持ちこそが、ニューヨーク決戦のアベンジャーズの奮闘として描かれていたのではないだろうか。本シリーズが、クリントをふたたび、あの決戦の地であるニューヨークに立たせた真意とは、ここにあるのかもしれない。

■配信情報
『ホークアイ』
ディズニープラスにて独占配信中
(c)2021 Marvel
公式サイト:disneyplus.disney.co.jp/program/hawkeye.html

関連記事