『カムカムエヴリバディ』安子の心を推進させたクリスマス 史実ではどうだった?

『カムカム』が描くクリスマス、史実では?

 私たちの世もクリスマスが近づくにつれ、街の灯りが賑やかなものになり、プレゼントを買いに行くのだろうか、週末の人通りも増えた印象だ。街自体、この季節になると活気づく。第6週から第7週にかけて『カムカムエヴリバディ』(NHK総合)でも、クリスマスの様子が描かれた。特に、安子(上白石萌音)が稔(松村北斗)の死を受け入れるうえで重要な出来事だったのが、ロバート(村雨辰剛)に誘われて行った将校クラブのクリスマスパーティーである。

 そこでロバートは身の上話や、妻との思い出話を安子に話す。戦争に稔を奪われたことで、自分がなぜそんな敵国の言語(英語)の勉強を続けているのか、答えの出ない感情を抱いていた安子。しかし、ロバートも妻の弟が戦死、その出来事がもともと心臓の弱かった彼女の心労を極め、この世を去ることに繋がってしまったことを聞いて、戦争でどの立場にあっても愛しい人を失った人間が等しくいることに気づく。特にロバートの妻の死に方は、安子の父・金太(甲本雅裕)になぞらえることができる。金太もまた、自分の判断で防空壕に行かせてしまったが故に、妻の小しず(西田尚美)と母のひさ(鷲尾真知子)を失ってしまった。より一層感じるその罪悪感に蝕まれてしまった金太の心臓は、戦争が終わっても帰ってこない息子・算太(濱田岳)と夢の中で再会したことで、その役目を終える。

 こうして一人ぼっちになってしまった安子にとって、目の前に広がるアメリカのクリスマスの多幸感は一見キツそうに思えた。しかし、失った人に対する祈りを捧げる意味合いが強かったことが、逆に彼女が前に進むために必要なカタルシスのようなものに繋がったのも事実だ。

 実は、この安子の参加した1948年のクリスマスは、1940年に禁止されて以来、久々に日本で再び盛り上がりを見せ始めていた時期によるものだ。もともと、クリスマスが日本に来たのは想像以上にずっと前の話。時を遡ること1552年、山口県にやってきた宣教師が開いたキリストの降誕を祝うミサが日本で初のクリスマスと言われている。山口の地方はキリシタン大名の大内義隆が統治していたこともあり、顎髭の両サイドに黒丸を描いてひっくり返し、「ペンギン」なんて小学生の頃ふざけた思い出が懐かしいあのフランシスコ・ザビエルが来日した後の出来事である。しかし、1612年、つまり江戸時代にはキリスト教禁止令が出され、クリスマスも同様に禁止されていた。

 その復活は、明治初期の頃。あの俳人・正岡子規も、25歳の頃に「臘八(ろうはち)のあとにかしましくりすます」と詠んでいて、これが日本の俳句に初めてクリスマスが登場した瞬間だった。その4年後、彼は改めて「八人の子供むつましクリスマス」という句を残しており、これによってクリスマスがカタカナの季語として初めて認識された。1896年のことである。

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