松村北斗の父親そのものの姿が切ない 『カムカム』安子たちと共に生きる稔さんの思い

 幼いるいを連れ、大阪にやってきた安子(上白石萌音)。娘を背負って芋飴を売っていたあの頃から数年が経ち、るいも大きくなっていた。毎朝家の中に漂うあんこの匂いで目が覚め、夕方は母の安子とともにラジオ番組『英語会話』を聞くのが今やるいの日課である。

 テキストの内容は日本人の日常のやりとりが中心となっており、なかには娘と父親のエピソードも。るいが素直にそれを音読する姿を、安子は悲しく見つめていた。もし、ここに稔(松村北斗)さんがいたら。彼女がどれだけ祈っても手に入らなかった家族の風景が、そこにはあった。『カムカムエヴリバディ』(NHK総合)第24話は、そんな風に楽しくも、少し切ない描写から始まる。

 英語のテキストと同じように、まだ布団の中で寝ている娘を起こす稔。その優しい声色と眼差しは、完全に“父親”のものだ。「もし彼が生きていたら」という安子の想像した姿だとしても、少し歳を重ねて落ち着いた父の顔になっている稔をみると、彼も2人と一緒にこれまで生きてきたかのように思える。ただ、実際彼は2人とともにこれまで“生きてきた”し、これからも“生きていく”のだ。

 安子とるいの絆を深める「英語」、稔さんに乗り方を教わった「自転車」、るいの「名前」を呼ぶたびに、そこに稔がこめた意味と望んだ未来。るいは自分の父を知らないが、彼を知る人はみな彼女の顔を見れば「稔にそっくり」だと、そこに彼の存在を感じる。そんなふうに2人の生活の至るところに、稔はいる。興味深いことに稔の声は、大阪に向かう列車のなかで安子が歌う「On the Sunny Side of the Street」の意味を日本語でナレーションしていたとき以来で、姿こそ本当に久しぶりの登場だった。なんとなく、彼の姿を思い出さないようにしているように感じさせた安子。大阪にきてから厳しい日々を送ってきた彼女が、親切な奥さんに救いの手を差し伸べてもらったり、大口契約を結んだり、生活と心に少し余裕ができたことでようやく、稔が亡くなった事実に向き合えるようになったことを意味しているのかもしれない。

「お母さん、お父さんってどんな人?」

 ついに聞かれた、稔のこと。それに答える安子が、誰かに自分の口で夫がどんな人だったかを語るのは、それこそ初めてのように思える。優しい人、大きな夢を持った人。

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