ザ・スミスの歌詞が響く 偽らざる心の物語『ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド』
モリッシーの憂いを帯びた柔らかな歌声と弱者に寄り添いつつも鮮烈な歌詞、そしてジョニー・マーのアルペジオを多用した繊細なギターの音色――80年代のイギリス、マンチェスターが生んだ「偉大なるインディーバンド」ザ・スミス解散のニュースが報じられた1987年の「ある一夜」を描いた本作『ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド』は、少々変わった風合いの映画になっている。そもそも、映画の冒頭に提示される「Based on true intentions.(偽らざる心の物語)」という見慣れないテロップは、何を意味しているのだろうか。本作の監督・脚本を務めているのは、『スコット・ウォーカー 30世紀の男』(2006年)、『ストーンズ・イン・エグザイル~「メイン・ストリートのならず者」の真実』(2010年)など、音楽ドキュメンタリーの秀作で知られるアメリカ、マサチューセッツ州の港町、ニューベドフォード出身の映画監督、スティーヴン・キジャック。「決して都会ではない郊外で育った、1969年生まれのアメリカ人」――ここが本作のひとつ大きなポイントとなっているような気がするけれど、その前にまずは本作の内容について見ていくことにしよう。
「PRELUDE(序曲)」に続き、「SIDE ONE “Heaven Knows I’m Miserable Now”(第1面 “僕が惨めだって誰も知らない”)」、「SIDE TWO “I Want The One I Can’t Have”(第2面 “手に入れられないものが欲しい”)」といった具合いに、いずれもザ・スミスの曲名が冠せられた4つのパートに分けられた(まるで、アナログレコードの2枚組アルバムのように)本作の物語は、1987年のアメリカ、コロラド州の州都デンバーの郊外で幕を開ける。スーパーのレジ係として働くクレオ(ヘレナ・ハワード)は、帰宅後ラジオのニュースで、大好きなバンド、ザ・スミスが解散したことを知る。しかし、彼女の周囲の人々は、何事もなかったように普段と変わらない。そのことに苛立った彼女は、馴染みのレコードショップに行き、懇意の店員・ディーン(エラー・コルトレーン)に、その思いのたけをぶちまける。「私たちの音楽が死んだのに、みんな無関心よ」。同じくザ・スミスの熱烈なファンであり、クレオと同じやるせなさを胸に抱えたディーンは、そこである「行動」を思いつくのだった。
その日クレオは、軍隊の基礎訓練に参加するため翌日には地元を離れるという友人・ビリー(ニック・クラウス)を送り出すため、親友・シーラ(エレナ・カンプーリス)とパトリック(ジェームズ・ブルーア)の4人で、夜の街へと繰り出していく。高校は卒業したものの、いずれも将来の道が定まっていない――それどころか、お互いの関係性や自身のセクシュアリティにもある種の「揺らぎ」を抱えた4人の終わりなきパーティは、ザ・スミス解散の動揺も相まって、彼らの心にさらなる揺れ動きを生み出していくのだった。「この4人で会うのは、今日が最後かもしれない」――まるでバンドが解散するように。一方、レコードショップのディーンはその夜、ザ・スミスのレコードと拳銃(!)を携え、ひとり地元のラジオ局へと向かう。ヘビメタばかりを流し続けているDJを脅して、その夜の間中、ある種の「たむけ」として、ザ・スミスのレコードをノンストップで流させようというのだ。かくして、デンバーの街中のラジオから、ザ・スミスの音楽が流れ出す!
鮮やかなギターのイントロが景色を一変させる名曲“ビッグマウス・ストライクス・アゲイン”を皮切りに、表題となった“ショップリフターズ”、ザ・スミスの代名詞でもある“ザ・クイーン・イズ・デッド”など、映画本編のあらゆるところで流れ続けるザ・スミスの音楽。その曲数は実に20に及ぶ。それだけではない。「皆が“ロック”と呼ぶものが嫌だった」、「人気バンドが山ほどレコードを売っても人々の意識は変わってない。そんな意識の低い音楽活動は罪ですらあると思っている」、「僕ら4人のしたことは誰にもマネはできない」、「だけど、ザ・スミスはここまでなんだと思う。物語の終点を迎えたということさ」など、ザ・スミスの当時の貴重なインタビュー映像やライブ風景などが、その随所に何度にもわたって差し込まれるのだ。
その中でも、この映画にとって――もっと言うならば、本作の登場人物である4+1人にとって、とりわけ重要なのは、要所要所で日本語字幕にも訳出されている、ザ・スミスの楽曲の歌詞だろう。《どうにかして僕を愛せるようになってよ》、《2階建てバスが僕らに突っ込んできても/君の隣で死ねるなら/そんなに最高なことはない》、《ウザいDJをつるせ/連中が流す音楽は最悪だ/僕の人生には一切響かない》、《この町は人を滅入らせる/皆が自分の人生を生きるべきだ》、《心に茨を持つ少年/憎悪のうしろの潜むのは/殺人的なまでの愛の欲望》などなど、モリッシーの刹那的な歌詞が、悩める登場人物たちのリアルな「心情」と突飛な「行動」を、豊かに代弁してゆくのだ。そしてそれは、彼/彼女たちが、なぜそこまでザ・スミスというバンドに傾倒しているのかという切実な理由を、観る者たちに自ずと理解させてゆくのだった。