『お耳に合いましたら。』に凝縮された幸せな時間 「一人ではない」というメッセージ

 毎話観終わったらじんわり涙してしまうドラマがある。木曜日深夜0時30分から放送中の『お耳に合いましたら。』(テレビ東京系)だ。

 本作は、テレビ東京がオーディオストリーミングサービス「Spotify」と共に、Podcast番組と連動させたオリジナルドラマである。映画『サマーフィルムにのって』のヒロイン役も鮮烈だった伊藤万理華が演じる主人公・高村美園が、大好きなチェーン店グルメ・通称「チェン飯」について語るポッドキャストを始め、パーソナリティとして成長していく物語だ。なぜこのドラマは、こんなにも多幸感に満ちているのだろう。その謎を解き明かしてみたい。

 本作の面白さの最たるところは、「一人の世界が一人ではなくなっていく」ことを目の当たりにすることだ。「ラジオ/Podcast」と「チェン飯」という美園の「好きなもの」は、本来彼女が一人で向き合っていたものだった。

 初回において、彼女は緊張しながら、1人、見えない誰かに向かって話す。人と話すことが得意ではない彼女が、「このままでは好きが死んでしまう」という焦燥感に駆られて、渾身の勇気を出して、爆発しそうな「好き」を込めたPodcastを公開する。その時「誰か聞いてるのかな」と呟いていた彼女のPodcastは、同僚、隣人、恋人、家族まで巻き込んで、気づいたら「チェン飯」を通した、愛すべき人々の話になっている。

 第9話の味変回『ヒナミの「お耳に合いましたら。」』は、まさにこの初回の「誰か聞いてるのかな」のアンサーとも言える、完璧すぎる回だった。美園の知らない世界にいる誰か、お嬢様・ヒナミ(豊嶋花)の世界をも彼女の声は動かしていて、ヒナミにとっての“ラジオレジェンド”は美園自身なのだから。その奇跡は、一人深夜にこのドラマを観ている誰かの心に直接語り掛ける。「あなたは一人ではないのだ」と。それはどこか、深夜のラジオを聴く時と似ていないだろうか。

 ラジオとドラマの親和性は今に始まったものではない。例えば、吉田羊が、ラジオパーソナリティーでコラムニストのジェーン・スーを演じた、前クールの『生きるとか死ぬとか父親とか』(テレビ東京ほか)は、一筋縄ではいかない父子の関係性を描いた優れた作品だったが、主人公がパーソナリティを務めるラジオ番組の「お悩み相談コーナー」の場面が作品の核となっていたことが印象的だった。

 特に初回冒頭において、現代を生きる女性たちのそれぞれの葛藤が「お悩み」として集約され、それが主人公の明快な答えによって昇華されるという場面が描かれることで、「これからこのドラマにおいて描かれることは皆“私たち”の物語ですよ」ということが端的に示される。「ラジオ」はそんな言葉にならない思いを集約する、語り手と聞き手、一対一の関係性を作れるメディアとして、他にない良さがある。

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