濱口竜介監督の圧倒的な一作 『ドライブ・マイ・カー』という主語なきフレーズが示すもの

荻野洋一の『ドライブ・マイ・カー』評

 『ドライブ・マイ・カー』は、今年7月のカンヌ国際映画祭で脚本賞ほか4冠に輝いた。日本映画史上まれな快挙だが、壇上で受賞スピーチにのぞんだ濱口竜介監督は、審査員、原作者の村上春樹、そして脚本を具現化したキャスト&スタッフに感謝を述べていたものの、表情には悔しさもにじんでいた。現地メディアの下馬評ではパルムドール(最高賞)の最有力候補だった。じっさいに作品を観ると、受賞結果なんてどうでもよくなるほどに、あまりの見事さに圧倒される。

 映画は一組の夫婦の物語として始まるが、驚いたことに、映画が始まって1時間近く経過したころ、やっとメインタイトルとキャスト&スタッフクレジットが現れる。テレビドラマ脚本家の妻・家福音(かふくおと/霧島れいか)と、演劇演出家で俳優でもある家福悠介(西島秀俊)は愛し合っていたが、音が急死することによって長い第1幕が閉じる。最初の1時間で愛の物語が死をもって終わったとき、この映画の真の物語がようやく始まるということだろう。終焉の「以後の物語」。大きな喪失を経験した人の、喪失のトラウマと向き合う物語。

 妻の死の2年後、家福悠介は国際演劇祭から演出依頼を受け、開催地の広島に2カ月間滞在する。音が最後に書いたドラマの主演俳優だった高槻(岡田将生)がオーディションに応募してくるが、この男は、夫の家福以上に音の死に動揺している。まるで悲しみの深さで張り合っているかのように。オーディションではさらに、声を出せない障がいをもつ韓国女性が手話で役に挑戦しようとしている。おのおのが自分の喪失と向き合っている。

 さらにもうひとり、喪失を反射鏡のように写し出す人物が登場する。劇場と宿舎を往復する家福を送迎するために雇われたドライバーの渡利みさき(三浦透子)である。ところで、本作のタイトル DRIVE MY CARには主語がない。1時間におよぶ第1幕では、家福悠介みずからスウェーデンの名車SAAB 900ターボを乗り回していた。時には妻から決意を告白されるのを恐れて、意味もなく深夜まで愛車を走らせもする。だから最初の1時間ではDRIVE MY CARの主語はまちがいなく第一人称だった。ところが次の2時間で物語られる広島篇ではDRIVE MY CARの主語が別人に変わったのだ。

 みさきが運転席に座ることによって、家福悠介の生がゆっくりとあらたな段階に移っていく。最初は愛車を他人に託すことに難色を示した家福だが、みさきの運転技術に感服し、やがて「まるで走っていることを忘れるほどだ」とまで絶賛する。しかし、みさきの高度な運転技術の理由があきらかになるにしたがい、家福とみさきの絆は、単に演出家とドライバーの関係以上のものへと変質していくだろう。家福がそれまでの後部座席ではなく、助手席に座った初めての夜、彼はみさきにタバコを差し出す。

 「いいんですか?」。家福は彼女のために火も点けてやり、自分にも火を点ける。灰皿は使わない。サンルーフを開け、ふたりは片腕を頭上に上げ、灰を天上に向かって飛ばす。それぞれが喪った大切な人にともしびを捧げる、美しい夜の走行シーンである。そしてこの身振りがラスト近くでひっそりと反復されることを見逃してはならない。こんどのタバコは冷たい泥に刺した即席の線香として振る舞うだろう。



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