闘争の街から生まれたストリートダンスの軌跡 世界を広げたリル・バックの革命を辿る

ダンスと音楽が映し出すメンフィスという街の姿

 ジューキンの元祖であったギャングスタ・ウォークが単なるダンスを超えていたように、ジューキンもまた、メンフィスの街の現実を映し出しているカルチャーであり鏡だ。

 白人の比率が80%近いテネシー州にあって、メンフィスの人口約65万人のうちアフリカ系アメリカ人が占める割合はおよそ63%。貧困問題も深刻なこの街で、音楽とジューキンは若者たちを犯罪や危険から遠ざけてくれる逃げ場として機能していた。

 そんな彼らの溜まり場として重要な役割を担っていたのが街のスケートリンク。とりわけ映画の最初に登場する伝説のローラースケート場クリスタル・パレスは、1981年のオープン以降メンフィスの子供たちにとってなくてはならない絶対的存在だった。

 土曜の夜になるとリンクはダンスフロアへと様変わりし、皆スケートを脱ぎ捨てて踊りに没頭する。そうして日々の鬱憤や社会への不満をダンス表現へと昇華していったのだ。

 しかしそのクリスタル・パレスは2017年に経営難のために閉鎖。このままでは子供たちが犯罪に走ってしまうのではないか、という不安を残したままメンフィスの歴史がひとつ幕を閉じた。

 メンフィス・ラップが現在のメインストリーム・シーンへ及ぼす影響力も大きい。

 全国区にメンフィスの名を知らしめたスリー・6・マフィアらOG(オリジナル・ギャングスター)たちの存在はもちろん(メンバーのジューシー・Jは近年プロデューサーとしてミーガン・ジー・スタリオンらの楽曲も手がけている)、“シュート・ダンス”で一躍バイラルヒットしたブロックボーイ・JBやキー・グロックら若手ラッパーも台頭。今年5月にはマネーバッグ・ヨーの新作がビルボードのアルバムチャートで初登場首位を飾るなど、話題は尽きない。

 クリスタル・パレスなき今も、ジューカーたちは街の駐車場やスタジオなどでサイファーをし続け、日々新しく生まれるメンフィス・ラップと互いに呼応しながら進化する。ラッパーもダンサーも、メンフィスのスタイルと誇りは着実に新世代へと受け継がれているのだ。

Spotifyで公開中の映画公式プレイリスト。新旧のメンフィス・ラップ名曲のほか、リル・バックのダンスに関わる幅広い楽曲が並ぶ。

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