『もののけ姫』にみる宮崎駿の自然観 “持続可能性”が謳われる今こそ重要な一作に

人間中心主義の外に出ることを目指す『もののけ姫』

 しかし、宮崎監督は日本史の外に出ようとするだけではなく、さらに広い世界の外があることを示唆する。それは人間中心主義の外だ。

 宮崎監督が、エコロジストと呼ばれることを嫌うことは有名だ。

「自然に優しい映画を作るジブリというようなレッテルを張られてしまいまして、それが非常に居心地が悪かったんです。自然と人間の関わりというのは、もっと業というべきような恐ろしい部分を持っているのに、
<中略>
自然の本当の姿というのはもっと凶暴で残忍なものなんですね。生命そのものも凶暴で残忍なものに晒される不条理なものだというところが抜け落ちたままで、環境問題とか自然の問題を論じると、どうも底が浅くなってつまらないんです」(『折り返し点 1997~2008』宮崎駿、P51、原典は『キネマ旬報臨時増刊 宮崎駿と「もののけ姫」とスタジオジブリ』キネマ旬報社 1997年9月2日号)

 近年、気候変動によって世界的に危機が訪れている中、宮崎監督の自然観は、環境保護を促進する面とそれに対する痛烈なアンチテーゼとして機能する両面があるだろう。一般的なエコロジー思想は、結局のところ人間にとって優しい環境を持続可能にしようというものにすぎない。自分たちの都合で自然を破壊してきた人間が、自分たちの都合で自然を守ろうと言っている。これは、人間中心主義の外に出られていないということだ。

 温暖化による異常気象は、これはこれで自然の現象であり、久々に自然が人間に牙をむいたのだと言えるかもしれない。この異常気象は人間にとってつらい。今現存する様々な動植物にとってもつらいだろう。しかし、例えば、シベリアの凍土に氷漬けになっている未知のウイルスにとっては、どうなのだろう。ようやく氷から解放されて嬉しいかもしれない。しかし、そのウイルスはおそらく人間にとって都合が悪いので、大事にされることはない。

 SDGsが謳う「持続可能な」とは、誰にとっての持続可能性か。少なくともシベリアの凍土に眠るウイルスにとっての持続可能性ではない。『もののけ姫』に描かれた巨大な山犬やイノシシのための持続可能性でもないだろう。もっぱら、人間のための持続可能性である時点で、人間は自分たちの都合の良い方向に自然をコントロールするんだとの傲慢さを捨て切れていない。

 『もののけ姫』という作品は、そういう人間中心主義的の理の外を目指している作品だ。それは、とても無謀な試みだ。なぜなら、それを観る私たちは人間で、作り手も人間だからだ。

 この映画は、人間に人間の理の外を見せようとしているが、それを理解しろと言われても無理ではないか。本当にそんな感覚を描けたとしても、人間には理解できない。例えば、コロナウイルスの気持ちを理解しろと言われて、可能な人間がいるとは思えない。そもそも、ウイルスに人間の感情に相当するものがあるかもわからない。というか、感情ベースに物事を考えること自体、人間的な作法すぎる。荒ぶる山の神々が人間の言葉を話すのは、人間の観客のレベルに合わせなければ映画として成立しないからだ。ただ、本作でも、シシ神の考えていることは全くわからないように描かれている。

 主人公のアシタカは、「森とタタラ場、双方生きる道はないのか」と問う。その道を見つけることが物語の結論になることを観客は期待するだろう。しかし、その道は見つかったとは言い難い。そもそも、本当に共に生きる道があるのかどうかも怪しい。人間の歴史を振り返れば、なかった可能性の方が高い。

 前述したように、この映画の作り手も人間だ。だから、人間中心の考えの外になどそう簡単に出られるはずもない。宮崎監督とて例外ではない。だから、この映画には明確な結論はない。正確にいうと、人間には結論にたどり着けない。

 だからと言って、悲嘆し途方に暮れているわけにもいかない。タタラの人々は明日を生き抜くために懸命に働く。その過程では、やはり自然を破壊してしまうこともあるだろう。そのことにサンも山犬の兄弟たちも怒るし、わずかに残った自然を守るために人間を殺すこともあるのだろう。そうやって、殺しあうしかないのかもしれない。それでも、人は生きるしかないとこの映画はいう。

 そんな映画を、今を生きる私たちは、どう観ればいいだろうか。現実問題、人が生きていくためには、気候変動を何とかする必要がある。傲慢だと言いながら、筆者自身も、生き延びるためには、環境をコントロールするしかないだろうと思っている。SDGsもそれが新たな国際ルールで生き延びるために必要なら、受け入れるしかない。

 だが、それが傲慢だということは忘れない方がいい。私たちは生き延びるために、都合良く自然をコントロールしようとしているのだ。優しいからでもなく、善だからでもなく、生き延びたい傲慢な生物なのだと肝に銘じつつ環境問題に向き合うしかないと筆者は思う。

 冒頭に、傲慢になりそうになったらこの映画を観るといいと書いた。それは正確にこう直されるべきかもしれない。

 人はどうあっても傲慢さを捨てられない。だから、自分が傲慢であることを忘れそうになった時、『もののけ姫』は何度でも観直されるべきだ。

■放送情報
『もののけ姫』
日本テレビ系にて、8月13日(金)21:00~23:44放送(※放送枠50分拡大)
原作・脚本・監督:宮崎駿
音楽:久石譲
声の出演:松田洋治、石田ゆり子、田中裕子、小林薫、森光子、美輪明宏、森繁久彌
(c)1997 Studio Ghibli・ND

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