『ラブライブ!』3作目で描いたスクールアイドル像 賛否生まれた『ニジガク』を解説
「0から1へ、1からその先へ!」という合言葉で動いていった『ラブライブ!サンシャイン!!』とAqoursによる継続的な活動は、『ラブライブ!』という狂熱を一過性のブームに収めるのではなく、コンセプチュアル性のある高熱源へと変化するためムーブメントだった。多くのファンが「『ラブライブ!』とはなにか?」「アイドルとはなにか?」という命題について考えることになり、作品性への理解や好みをファンに自覚させたうえで、未来へとバトンを繋いだ。
そのバトンをしっかりと受け取り、独自の作風として生まれたのがスクールアイドル「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会(以下、ニジガク)」である。ラブライブ連載の最終回として、アニメ作品「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」について書いていきたいと思う。ゲーム作品『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル(以下、スクフェス)』『スクフェスALL STARS』の内容についてはあまり触れず進めさせていきたい。
初代『ラブライブ!』と『ラブライブ!サンシャイン!』とアニメ作品を立て続けに発表し、ラブライブは急速な人気の高まっていった2017年ごろ。同年3月末に生まれたのがニジガクは、それまで2作品とは別の流れから生まれ、2作品とは大きく異なったアーキテクチャやストーリーラインをもった作品であった。
μ'sとAqoursとニジガクで大きな違いといえば、前者2組がグループ/ユニットであるのに対し、「ニジガク」はグループ/ユニット名ではないということだ。あくまで当作品にスポットがあたる9人はソロアイドルとして活動をしており、「ニジガク」は9人に対するあくまで便宜上つけられた呼び名ででしかない。
例えば音楽作品を見てみよう。μ'sとAqoursと違い、アニメ作品化する以前から楽曲を多く提供していたニジガクだが、その多くがオリジナルのソロ楽曲であり、「ニジガク」名義の楽曲は数少ない。2018年から3年連続で発売されてきたオリジナルアルバムを聴いていただければそれが良くわかるはずだ。
それらの楽曲も一人一人の個性に合わせてしつらえた専用楽曲であり、ほかのキャラクターが歌うとどことなくハマって聴こえないように感じてしまう。例えば、劇中でも人気活実力者のソロアイドルであり、自分に高いハードルを課すストイックかつ熱血キャラな優木せつ菜の「CHASE!」と、ゆるふわなムードでほっこりとした笑顔が魅力的な近江彼方の「眠れる森に行きたいな」を、互いに交換して歌ったら、曲調も声色もマッチしていないのでさすがに首をかしげてしまうかもしれない。
大袈裟な例えをしてしまったが、こうした制作進行をフィードバックするかのように、個々人の魅力にフォーカスして活動表現に繋いでいくというのは、『スクフェスALL STARS』やアニメ『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』でもベースとなるストーリーラインへと繋がっていく。なので、ニジガクをグループとして捉えようとするのは大きな誤解である、初めて本作を知る人は注意しておくべきだろう。
2017年3月に発表された『スクフェス』の4周年記念プロジェクト『パーフェクトドリームプロジェクト(PDP)』の一環でニジガクは誕生したわけだが、この時点で大きな話題を呼んだのは、2013年4月1日からスタートした『スクフェス』に出てきた「モブキャラ」から数名が採用されていたことでもある(『ニジガク』としてのキャラクターは、設定上は別人という扱いではある)。
どことなくクローズドな作品世界だった『ラブライブ!』にむけて、『スクフェス』2作品は広大な世界観を導入したゲーム作品であった。「スクールアイドルをやろうと決めたのなら、誰にでも門は開かれている」というオープンなムードを持ち込み、『スクールアイドルフェスティバル』というタイトルからは多様多彩な存在がいることを意識させていたともいえよう。
このような流れを取り込んだアニメ版『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』は、先述したように過去2作品とは別の世界観でありつつ、『ラブライブ!』の世界であり得るだろうシーンを描いた。
アニメ版『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』は、過去2作とは異なる部分が多い。高咲侑が物語の主役・中心人物をして描かれるが、彼女はスクールアイドルではなく、友人の上原歩夢などを含めた9人のスクールアイドルのサポート役に徹している。主人公達の通う高校が廃校危機に瀕してはいないし、過去作ではスクールアイドル部(同好会)の結成から始まっていたのが、本作では一度活動休止後に復活していることも挙げられよう。
もっとも異なる部分と言えば、ニジガクのメンバーはμ'sとAqoursとは違い、スクールアイドルの全国大会「ラブライブ!」を目指すことはせず、スクールアイドルフェスティバルという催しを発案、開催を目指していくというストーリーになっている点。そのなかにおいて、9人が各々が「理想とするアイドル像/自分自身」を手に入れようとするのがバックグラウンドで展開しているのだ。
様々な事情と考えが重なり、グループ(集団)での活動をあきらめ、ソロアイドルとして活動するというこのストーリーは、集団という枠組みを払い、個人独力によってアイデンティティを掴もうというメッセージを強く描き出しているともいえる。μ'sとAqoursが集団で一致団結して最高最大の結果を求めようとするチームスポーツとして描いたのなら、ニジガクは個人独力において表現しうるソロスポーツとして描いた、と言えなくもない。