『まめ夫』第2章に訪れた寂しさの正体 “なくならない”人の温もりを描く坂元裕二の意図は?

 第7話には人と人とのさまざまなすれ違いがあり、そこにも寂しさがあった。

 松林(高橋メアリージュン)がクライアントとの打ち合わせで声を荒げたとき、それは会社の未来のために他ならなかったが、「もう少し柔らかく話したほうがいいね。最近寝てる? ちゃんと休みなよ」ととわ子は言った。その言葉には「思いやり」はあるが、松林にとって「いまかけてほしい言葉」ではなかった。そのことの残酷さを描いている。立場を入れ替えて同じことが後半でも反復される。「社長にはもっと頑張ってほしかったんです。ご友人がやり残した分も」。松林のとわ子に対する正直な思いはこうだった。

 ここでバスオイルに話題を移す脚本の抜け感が凄まじい。安易に対立構造を生むのではなく、交われないことの寂しさ、一度共有したものが離れていく虚しさこそを、このドラマは丁寧に描こうとするのだ。脚本家の坂元裕二という人は、そのことをずっと見つめてきた作家でもある。

 そうであるから、“こぼれた涙”を拭った謎の男X(オダギリジョー)が、会社を買収しようとしている(会社の強みを奪っていく)張本人・小鳥遊であるとわかったときにもまた衝撃が走る。彼は「人間にはやり残したことなんてないと思います」と(松林の言葉でモヤモヤを抱えていたとわ子に)言ってくれた。「5歳のあなたと5歳の彼女(かごめ)は今も手をつないでいて……」と、かごめの存在は今もここにあると教えてくれた。いやはや、オダギリジョーの華麗なる二面性の芝居が怖すぎて巧すぎるとしか言いようがないのだけれど、彼が話す(映画『メッセージ』などでも描かれるような)「時間は存在しない」という考えは、とわ子の苦しみを心底和らげるものになっただろう。

 とわ子はきっと、八作にも同じ話を聞かせたいと思ったはずだ。あの玄関での別れ際に呼応した「ごめんね」は、「(寄り添う術がなくて)ごめんね」だろうから。唄が家を出た哀しみは共有できるけれど、同じくふたりが体験したかごめの死という喪失は、まだ分け合うことができないでいる。そこにもどうにもならないすれ違いと寂しさがある。

 とは言っても、オダギリジョーから新たな考え方を得たとわ子は、ひときわ元気そうである。彼女は元より知っていたからだろう、かごめが今もそばに居続けていることを。彼女にはそれに見合う言葉や考え方が必要だっただけだ。だって、とわ子はかごめの家の冷蔵庫に残っていた食材を使って料理をつくって食べ、描き終えた漫画をちゃんと封筒に入れて賞に応募していたから(第6話)。それは、「あったもの」と「いまあるもの」をいっしょくたに並べて抱きしめようとすることに他ならないし、実際彼女(空野みじん子)の漫画は作者がこの世にいなくても「佳作」という形で存在を認められた。

 フルーツサンドから肝心なフルーツがこぼれ落ちようとも、バラバラに食べてお腹に入ってしまえば同じである。こぼれ落ちても、あることに変わりはない。だから、恐れずにかぶりつけるとわ子は、かごめと共にこれからもきっと生きていける。この第7話の心強すぎるメッセージが、寂しさを抱える視聴者の誰かひとりにでも届けば、『大豆田とわ子と三人の元夫』には大きな意味があったと言えるだろう。まだまだ物語は続いていくようだ。

■原航平
ライター/編集。1995年、兵庫県生まれ。Real Sound、QuickJapan、bizSPA!、芸人雑誌、logirlなどの媒体で、映画やドラマ、お笑いの記事を執筆。Twitterブログ

■放送情報
『大豆田とわ子と三人の元夫』
カンテレ・フジテレビ系にて、毎週火曜21:00〜放送
出演:松たか子、岡田将生、角田晃広(東京03)、松田龍平、市川実日子、高橋メアリージュン、弓削智久、平埜生成、穂志もえか、楽駆、豊嶋花、石橋静河、石橋菜津美、瀧内公美、近藤芳正、岩松了ほか
脚本:坂元裕二
演出:中江和仁、池田千尋、瀧悠輔
プロデュース:佐野亜裕美
音楽:坂東祐大
制作協力:カズモ
制作著作:カンテレ
(c)カンテレ
公式サイト:https://www.ktv.jp/mameo/
公式Twitter:@omamedatowako

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