中川大志の勇姿が心に残る 純度の高いヒーロー映画『砕け散るところを見せてあげる』

ずっと心に残る中川大志の勇姿

 困っている人がいたら助けるーーそう口にすることはカンタンだけれど、実際に行動に移すことができる人は、いったいどれくらいいるだろう。困り具合の程度にもよるが、その相手が名前も分からない者であれば、やはりことはカンタンではない。しかしながら、『砕け散るところを見せてあげる』の主人公・濱田清澄(中川大志)は、それを貫徹してみせる。彼の行動の原動力はなんなのか。

 はじまりは、小さな正義感なのかもしれない。だがそれがいつしか彼にとって、なんとしてでもやらねばならない、身を挺してでも遂げなければならない大いなる目的となる。たとえ差し伸べた手を突き返されたとしても、清澄はあきらめない。それはなぜだろうか。彼が抱いているのは、高純度の“恋心”だからである。この少年の純度の高い感情から生まれる行動が、SOS信号を放つ少女の目には“ヒーロー”として映るのだ。


 本作のタイトル『砕け散るところを見せてあげる』にある「見せてあげる」とは、“誰の”、“誰に対する”行為のことか。それはもちろん、主人公・清澄の、少女・蔵本玻璃(石井杏奈)に対する行為だ。物語は、あるひとりの少年(北村匠海)が、会ったことのない父の勇姿を思い浮かべ、自身がヒーローに変身するさまを夢想するところからはじまる。

 この少年の父が、清澄なのだ。少年いわく、彼がこの世に生を受けた日、増水した川で水難事故に遭った人々のために父は身を挺し、この世を去ったのだという。このシーンを導入部として、清澄が高校生だった頃の物語へと転換していく。さっそく彼が、少女・玻璃と出会う場面へとである。


 ここまでの一連のシーンだけで、ふつふつと感動が込み上げてくる。筆者はこのたった数分だけで、思わず涙を流してしまったほどだ。上映尺は127分あり、涙を流すにはあまりにも早い。しかしここですでに本作は、物語の大枠を端的に描ききっているように思えた。なぜならば、“父と子の関係性”と、物語の核となる“少年少女の関係性”が完全に見て取れるからだ。息子はいまは亡き父をヒーロー視して誇りに思っており、その父は少年時代に、苛烈ないじめに遭う少女に救いの手を差し出している。ここで少年(=清澄)の姿と印象的なタイトルが呼応しあい、ジーンと胸に響いてくる。おそらく彼はこのあと、少女のために玉砕覚悟のヒーローに変身するのだろうと私たち観客は早々に合点がいくのだ。本作はとても純度の高い“ヒーロー映画”なのである。

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