トム・ハンクスとポール・グリーングラスの“代表作”に 『この茫漠たる荒野で』が非凡な理由

『この茫漠たる荒野で』が重要作である理由

 もともと西部劇には、『地獄への逆襲』(1940年)や『決斗!一対三』(1959年)に代表されるように、ジェシー・ジェイムズやウェス・ハーディンなど無法者となった南軍残党を好意的に描き、“南部魂”を掲げることで、ある種の観客の溜飲を下げる役割を担う作品があった。西部劇自体が衰退したのは、現代を舞台にした刑事もののドラマや映画の流行などはもちろんだが、人権の観点から、そのような方向性の作品を撮ることが難しくなった点も挙げられる。

 その一方で、西部劇は、アメリカ南部の文化を皮肉めいた表現で描く小説の一形態である「南部ゴシック」とも一部で結びつきを見せ、奴隷制度が存続していた南部の日常を、早くから生き地獄として表現した『マンディンゴ』(1975年)をはじめとして、『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012年)や『ブリムストーン』(2016年)のように、西部劇の時代の裏側に存在していた暴力的な構造を、黒人や女性など差別を受ける側の視点から告発する作品が、先進的なジャンルとして増えてきている。その意味においては、本作もその系譜に連なるものとして数えられるだろう。

 だが、本作がそれらの作品と微妙に異なるのは、このような過去の暴力を告発するのと同時に、南部の白人にも貧困者が存在し、それらの人々を被害者として描いているところだ。講和会に出席している人々は教育がなく、文字が読めない。だからこそ、ジェファーソンが伝える外部の情報が、人々の考える“世界”となるのである。その意味ではジェファーソンの役割は責任が重い。偏見やデマを講和の中に混ざることで、地方の人々をある方向にコントロールすることもできるからだ。

 南部には、「サザン・ホスピタリティ」という、外から来た者をあたたかく迎える風習がある。南部ゴシックでは、そのような善良さと人種差別的な振る舞いが両立することが、ある種の恐怖や狂気を含んだ状況として描かれている部分がある。そういった南部の白人の描き方は、ある意味では事実に基づいた正当なものともいえるが、そのような切り捨て方をされた南部白人にとっては、そこに事実が含まれているからこそ、余計に立場が保てなくなることも事実なのである。

 2016年にドナルド・トランプが大統領選に勝利したとき、その勝因のベースとなっていたのは、南部を含む田舎での安定的な「保守層」による得票である。そこに生きる人々が、経済的に潤っている大都市圏の、多様性を掲げる先進的なリベラル層に対して、経済的にも思想的にも「切り捨てられている」という思いを持ち、大筋で異なる方向に進むという現象は、見方によっては南北戦争の構図に近いものがあるといえる。そして、就任後も発信された、トランプ大統領自身による“真実ではない”情報を信じることで、よりリベラルを敵視し、分断が深まることとなった。つまり、南北戦争後の状況を描くことは、現在のアメリカにおける国民の分断された状況を描くことにもなっているのだ。

 トム・ハンクスが本作で演じているジェファーソンは、元南軍兵として、合衆国政府の政策に反発する生き方もできたはずである。だがジェファーソンはそうせず、歪んだ情報を広めることもせずに、北部を恨むような感情に結びつく言動を慎重に避けながら、窮状にある貧しい南部白人の日々の労苦に寄り添い、娯楽としてのニュースを提供する役割を続けていくのである。早撃ちのガンマンでも、市民感情を盛り上げて指導する立場でもない、きわめて地味な存在ではあるが、むしろこのように理性を重要視する人物こそが、西部劇の時代における、現代から見た一つのヒーロー像なのではないか。これまで善良な役を演じることが多かったトム・ハンクスだが、本作の役柄は、その善良さが社会を救う“解答”にまで昇華されているという意味で、集大成といえるものとなっている。

 硬貨を弾に込めて撃つという、トリッキーな銃撃戦も印象的な本作には、明らかに“打ち倒すべき”南部の悪が描かれている。しかし、南部の文化に存在するはずの善良さをすくい取り、未来への希望を諦めない姿勢をも同時に見せることで、本作は“分断”から“融和”へ向かおうとする、2021年現在のアメリカ社会にとって最も重要になっているテーマに、正確にフォーカスすることになった。それは取りも直さず、本作の社会問題への視点が優れていることの証左であるだろう。さすがは、イラク戦争を早くからグローバルなバランスを取って映画化した『グリーン・ゾーン』(2010年)を手がけているグリーングラス監督である。その社会問題に対する真摯な態度と優秀さが、ここにきてさらに冴えを見せている。

 本作『この茫漠たる荒野で』は、“西部劇”として良く出来ているから凄いのではない。きわめて広い視野から、現在の社会問題に対して、一つの正確な解答が繰り出されている映画だという点で非凡なのだ。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■配信情報
Netflix映画『この茫漠たる荒野で』
Netflixにて独占配信中
監督:ポール・グリーングラス
脚本:ポール・グリーングラス、ルーク・デイヴィス
出演:トム・ハンクス、ヘレナ・ゼンゲル、エリザベス・マーヴェル、レイ・マッキノン、メア・ウィニンガム

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる