「新しい日常、新しい画面」第2回

プロセスの映画と連続/断絶の問題を考える 『本気のしるし 劇場版』の“暗い画面”が示唆すること

コロナ禍時代の大ヒット作としての『鬼滅の刃』

 この連載では、コロナ禍(New Normal)における映画文化のゆくえについて考えている。目下、世間では、『週刊少年ジャンプ』の人気連載マンガを原作にしたアニメーション映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』(2020年)が、わずか公開10日間という史上最速で興行収入100億円を突破したことが大きな話題となっている。

 本作の歴史的な大ヒットの持つ(無)意味については、ぼくはすでに簡単に私見を述べているけれども(参考:映画『鬼滅の刃』大ヒットの“わからなさ”の理由を考察 21世紀のヒット条件は“フラットさ”にあり?)、それに関わることでいえば、このアニメの大ヒットぶりも、どこか新型コロナウイルスをめぐる状況を的確にかたどっているように見える。ぼくはそこで、本作がはらむある種の「フラットさ」(浅さ)がこのたびの脊髄反射的で投機的(speculative)なメガヒットに関係していると指摘した。作品自体は過去の『ジャンプ』の名作マンガの定型を程よくパッチワークしたものであり、何より本作の原作者である吾峠呼世晴は公式には性別すら明かされていない覆面作家として知られている。

 つまり、作品の示す主題や表象が時代的な意味を担っていると観客に確信させ、なおかつスティーヴン・スピルバーグ、ジェームズ・キャメロン、あるいは宮崎駿といった強烈な個性を放つ固有名と紐付けられていたかつての大ヒット作と比較したとき、それらと『鬼滅』はまったく対極的なのである。そして、その表象のフラットさや匿名性という性質は、誰もいない無人の広場やマスク姿のひとびと、そして丸い形をしたウイルスの画像といったコロナ禍をめぐる特徴的なイメージの群れと驚くほど似通っている。その意味でも、『鬼滅』はまさにコロナ禍時代のヒット作――それはまさに作者の顔を持たない非人称的な作品がひとびとのあいだに「感染」していくという点でも「バイラル」である!――というにふさわしい。

『本気のしるし 劇場版』の「暗い画面」と「密室」

 ところで、『鬼滅』のアニメ映画は、夜の闇を疾走する汽車の車両の内部がおもな舞台となった物語だった。この秋、同じように、薄暗い「密室」が印象的な舞台となる映画をいくつか観た。たとえば、そのなかの1本が、深田晃司監督の『本気のしるし 劇場版』(2020年)である。

 今年の東京国際映画祭でも特集上映が組まれている深田の新作は、2019年の秋に地方局で放送された全10話のテレビドラマを劇場用に再編集した4時間に迫る大作であり、コロナ禍で中止となった今年のカンヌ国際映画祭オフィシャルセレクションにも選出された。

 物語は星里もちるのマンガが原作。職場の先輩(石橋けい)と曖昧な関係を続けつつ後輩OL(福永朱梨)にも好意を向けられている優柔不断な会社員の辻一路(森崎ウィン)が、とある夜にひょんなきっかけで命を助けた葉山浮世(土村芳)という謎めいた女性に次々と人生を翻弄されていくという恋愛サスペンスだ。もともとがテレビドラマとして撮られた作品としては異例なほど、長回しやロングショットが多用されている点は、すでに多くの指摘がある。また、ある夜、浮世をマンションの自室に招き入れた辻がベランダから下を見下ろすと、彼女の夫を名乗る葉山正(宇野祥平)を見つけ、すぐさま地上の駐車場に降りて怒鳴りかかる様子を、ベランダに据えられたカメラが、そのままの位置から静かにまなざす身のすくむような緩慢なズームも忘れ難い。これなどは、深田が意識したというハードボイルドで、どこかシュールなテイストを画面に添えている。

 ただ、ぼくがある意味でそれ以上に気になったのは、(これも通常のテレビドラマ的な画面からは程遠い)物語の全編を通して続く、本作の「画面の暗さ」である。物語のオープニングの、主人公が列車の迫る踏み切りの線路に立ち止まるヒロインを救う夜のシーンから、映画はいずれのショットも照明を抑えた人物のシルエットにグレーがかった影が差す暗い空間で構成されているのだ(実際、その後も本作では夜のシーンが目立つ)。

 そして、その理由のひとつはすでに触れたように、この大作が多くのシーンを、主人公の職場や自室、コンビニといったさまざまな室内空間に配置していることに由来している。そして、その室内空間の内部で単独に、あるいは誰かと一緒に閉じ籠る登場人物たちは、互いに切り離された絶対的に孤独な時空に置かれているように見える。たとえばそれは、主人公とヒロインが出会う最初のシークエンスにおいて、彼女が踏み切りで立ち往生するレンタカーのなかに閉じ込められているイメージで、決定的に暗示されていたものでもあるだろう。

孤絶するひとびと

 そしてその後の物語でも、浮世は不思議な魅力で辻を翻弄しつつ、次々と周囲に嘘をつきながら突然目の前から消え去り、ふたたび現れたかと思えば、怪しげな男たちに借金を抱え、子連れの男と暮らす既婚者であり、さらには過去に別の男と心中未遂も起こしていたという、衝撃的な事実が明らかになっていき、辻とぼくたち観客をどこまでも唖然とさせる。まるでフィルム・ノワールのファム・ファタールを体現するかのような浮世の存在は、あたかもすべてのモノを引き寄せ飲み込みながらも、決してその内部が窺えない巨大なブラックホールを思わせる。また、そんな彼女を中心に、辻と関係を持つ先輩社員の細川尚子と後輩社員の藤谷美奈子、浮世の元恋人の峰内大介(忍成修吾)、そして浮世に金を貸したヤクザの脇田(北村有起哉)にいたるまで、『本気のしるし 劇場版』の登場人物たちは、誰も彼もが他人には容易に窺い知れない部分を抱え、あるいは彼ら同士のコミュニケーションは絶えず阻害され、裏切られていく。

 その意味で、『本気のしるし 劇場版』に頻出する薄暗い密室の数々は、彼らの存在の精巧なレプリカであり、そのそれぞれが「窓」を持たない「モナド」(ライプニッツ)なのだ。だからこそというべきだろうか、この映画では、主人公の辻をはじめ、登場人物たちがとにかくよく走る。誰かのもとに追いつこうと、事実を確かめようと、さまざまな理由から全力で疾走する彼らの姿を深田のカメラは縦横に追いかけ続けるが、逆にいえば、それは彼らが絶対的な孤絶の時空に閉じ込められていることの証左だろう。

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