Netflix『アグレッシブ烈子』の真価はヒロイン像にあり 新シーズンでも描かれる20代のリアルな現実

 サンリオ出身とは思えない異色のキャラクター、烈子。レッサーパンダ、25歳の蠍座A型。彼女の日常が描かれるNetflixシリーズ『アグレッシブ烈子』も、ついにシーズン3が配信された。基本的に登場人物は全て動物というファンタジックな世界観に対して、内容がエグいほどリアルなのが特徴の作品。烈子とタメである著者としても、普段から見かける光景がアニメの中でド直球に展開されていて、もはや他人事とは捉えられない。

 シーズン3ではOLだった烈子がまさかの地下アイドルデビューを果たすなど、大きな転換を迎えた。そこで、これまで彼女の歩んできた道のり(ぶち当たってきた壁)とその突破口を振り返りたいと思う。もしかしたら、今この記事を読んでいるあなたもリアル・烈子かもしれない。

一見普通に見えて問題あり? 共感できるヒロイン像 

 そもそも本シリーズは、一般企業の経理部に務めるOLの主人公烈子の何気ない(?)日々を描いたもの。しかし何が特別かというと、彼女は秘密を抱えている。それはずばり、日々の鬱憤をデスボイスに乗せてカラオケで発散するという彼女のストレス解消法にあり、そういうエキセントリックなギャップが面白い作品なのだ。

 シーズン1ではそんな彼女が上司から慢性的に受けるパワハラ問題、そして会社を辞めるために婚活を始める様子が描かれた。そしてシーズン2では新卒の後輩とのコミュニケーション問題、結婚する気がない異性との恋愛がメインテーマに。そう、主に一つのシーズンごとに20代が抱える会社私生活でのありがちな等身大の悩みが取り沙汰されている。そしてそれを烈子自身がどう乗り越えていくのか、彼女がちょっとだけ成長していく物語なのだ。そして何よりパワハラを受ける側だけの話だけではなく、する側の視点も組み込まれているので、そこに深みがある。

 確かに露骨かつ時代錯誤も甚だしいトン部長(豚です)のパワハラは酷いし、許されるものではない。ただ、一方で烈子も入社3年目ぐらいのはずなのにミスが目立ち、なによりそれに対する改善の気概があまりない。少し強い言い方になるが、基本的に彼女は全シーズンを通して逃避癖があり、問題を目前にすると心を断絶してしまう。デスボイスでの発散だって、本音や不満は相手に言えないから自己完結して、根本的な改善にはならない。流されやすく、自分の意志というより「周りの同い年の女性はそうしているから」という一般論=25歳OLの幸せ、またはあるべき姿という捉え方をしている。

 「あと10数えたら、私は真面目な会社員」「あと10数えたら幸せな彼女」という具合に、自分をごまかすことに慣れてしまっているのだ。ただ単に寿退社したいからって(それも自分が結婚したいのではなく、周りがそうするからという価値観に基づいて)微妙なレッサーパンダの男にかっこいいフィルターをかけて無理して付き合う。スパゲッティは汁飛ばしながら食べるし、ヒールの女子何時間も歩かせるし、気遣いができないばかりか何を聞いても「うん」しか答えないような男を目の前に、烈子は普段より声を高くしてニコニコと明るく振る舞う。彼女は、そういう子なのだ。

 ……でも私たちも、そうではないだろうか。

 アニメやドラマ、映画の中の「OLヒロイン像」というものを考えた時、そういうプリンシパルな女の子の大概が自分の確固たる価値観を持っていて、常に強く、逆境にも負けない。いつもポジティブだし、友達が多い。仕事での悩みは一瞬で解決するし、イケメンのドS主任にエレベーターで壁ドンとかされちゃう。そんなの、私たちではない。私たちは毎日くそみたいに混んでいる電車に乗って、会社では上司に怒られて、家と職場の往復で1日が終わって、休みの日は携帯をいじって終わる。周りの価値観に流されないなんて強さ、みんなが持てるわけじゃない。寂しいから、とりあえず彼氏が欲しいなんて時もある。『アグレッシブ烈子』は、そういう“ごく普通”のOLを何の補正もすることなくヒロインとして成立させた意味で、かなり尊いアニメだ。

 だからこそ、シーズンごとに問題に直面した時に逃げ癖のある彼女が少しずつ向き合って、進歩したり、でもやっぱり変わっていないダメさを抱えたりして、本人が「そんな私でもいいの」と自己肯定感の土台を上げていくところに良さがある。

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