中村倫也の演技力が浮き彫りに 『人数の町』『水曜日が消えた』にみる“主役としての在り方”

 久しぶりの主演映画となった『水曜日が消えた』に続き、主演を務めた『人数の町』が公開されている中村倫也。どちらも中村が演じる人物にフォーカスした作品だが、主演としての作品内での立ち位置は大きく異なっている。今作での彼はどのような、“主役としての在り方”を見せているのだろうか。

 本作『人数の町』は、2017年に開催された“第1回木下グループ新人監督賞”の準グランプリ受賞作品を映画化したもの。簡単な労働と引き換えに衣食住が保証される“奇妙な町”を舞台に、人間の在り方を問うディストピアミステリーだ。ここで中村が演じているのは、借金取りに追われて暴行を受けていたところ、謎の男に助けられ、例の“奇妙な町”に連れてこられた蒼山という青年。これといって大きな特徴のない、どちらかといえば地味な男である。

 この町で展開される物語はというと、これまた地味なものだ。いや、“地味”というと、これには語弊がある。それは“奇妙な町”と呼ぶに値する場で進行していく、どうにも居心地の悪いもの。町にあるプールは社交場となっており、そこで繋がった者同士は快楽にふけることもできるし、食事の摂り方も異常だ。それに蒼山は、なぜか“デュード”と呼ばれている。一度入ってしまうと、抜け出すことのできない町なのである。

 ところがだ、蒼山の新たな生活環境を見ていて、居心地の悪さや気味の悪さ、ひいては“不快感”すら感じるものの、かといって何か大きな問題が起こるわけではない。物語そのものが、ある種、単調に語られている。つまり、作品に強引に引き寄せられるような“起伏”が乏しいと思えるのである。だがそんな物語と観客とを繋ぎ留めているのが、蒼山を演じる中村の存在なのだ。物語の設定に対する観客の戸惑いは、新たな生活環境に対する蒼山のそれとリンクしている。中村はその微細な表情の揺れによって、この町に対する観客の興味・関心を宙吊りにし続けるのだ。これから何が起こるのか?ーーそんな観客の期待を、中村は終始“おあずけ状態”として牽引しているのである。

 ヒロインである石橋静河との関係も気になるところだが、それは後にならないとまったく分からない。もちろんこれも、観客の緊張感や興味を生む効果として作用はしている。しかしそこまで観客を導き続けられるのは、中村だからこそできるものではないかと思うのだ。蒼山の感情の起伏と映画の展開の起伏は連動しており、ここで中村の演技のトーンがズレていれば、作品そのものにも影響することだろう。

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