タル・ベーラのもとで学んだ小田香監督が語る『サタンタンゴ』の魅力 彼からの影響やその人柄まで
「どういう風に作ったら、こんな映画になるんだろう」
――肝心の『サタンタンゴ』を初めて観たときの感想は?
小田:終わった直後は、なにも考えられなかったですね。身も心もとけたというか、打ちのめされたというか。7時間を超える映画を観ることは自分にとっては初体験。そういう作品と向き合うことってそうあることではないですから。映画を鑑賞するという自分の行為がさらに更新したというかアップデートされたというか。特別な体験でしたね。ずっと目は覚めていたんですけど、なにか夢と現実の狭間というか、意識と無意識の間というか、どこかをまどろんでいた感覚がありました。目の前の映像の世界に入り込んでいるようでもあり、それとはまったく別の意識の中へも入り込んでいるような、自分でもいまどこにいるのかよくわからなくなる瞬間がある。「どういう風に作ったら、こんな映画になるんだろう」と思いましたね。
――その後は、見直したことはあるんですか?
小田:その後、オンラインで観させていただく機会があって、昨年公開されたとき、劇場でまた観ました。何度観ても、発見があるんですよね。たぶん、次にまた観ても、「こんなショットあったっけ」と思うこときっとある。どのショットもすごくて印象深いんですけど、その中にまた新たな発見がある。一方で、何度観ても変わらないのはボーク・エリカ。『ニーチェの馬』での彼女の演技も見入るところがありますが、『サタンタンゴ』も甲乙つけがたいです。
――そのタル・ベーラならではの映像の魔力はどこから生まれるていると思いますか?
小田:あくまで自分の見解ですけど、キャスティングのすばらしさとロケーションの強さからくるものではいかなと。キャスティングで言えば、プロの俳優ではない人もいる。でも、そういうことはベーラには関係ない。その役の人物をベーラは粘り強く探して見つける。それで、ベーラはその人自身を見抜いているから、その人はその人自身としてそこに立っている感じなんですよね。だから、誰もが無二の存在になっている気がします。このキャスティングはひとつの奇跡といっていいかもしれません。ロケーションもすごい。よくこんな場所を見つけてくるなと思いますよね。『サタンタンゴ』も何年もかかってやっと見つけたと本人が言っていました。いまこれぐらいこだわりをもった監督がどれぐらいいるか。ほとんどいないのではないでしょうか。実際、彼は言っていたんです。映画作りは「前段階が大事だ」と。クランクインの前が大切で、映画学校でも劇映画を撮る人にベーラが立ち会うのは、キャスティング決めとロケーション選びのときだけ。あとは任せていました。そこさえクリアすれば、あとは作り手に誠実さがあればなんとかなる、そう間違った方向に行くことはないと言ってましたね。
――『サタンタンゴ』でとりわけ好きなショットは?
小田:ほぼ全ショット好きなんですけど、まだ未見の方もいるので言えませんけど、ラストは好きですね。ネガティブにもとらえられるんですけど、自分は違うというか。映画学校を設立するにあたって、彼は『人間の尊厳のために学校を作る』と言っていて、ものすごく映画の未来を信じている。そういう彼の前を向く姿勢が出ている気がするんです。わたし自身は『サタンタンゴ』に限らず、タル・ベーラの作品に触れると、自分がしっかりと大地に立つというか。世界を考えるときでも、それこそ日常を送る上でも、自分の底辺が広がる。足場が大きくなって、しっかりといろいろな物事を見れるようになる。あと、もしかしたら、こういう映画があること自体に、ひとりの映画の作り手として安心しているのかもしれません。「いろいろな映画があっていいんだ」と。なにか勇気づけられるところもあるような気がします。
――9月19日から『セノーテ』が劇場公開。それに先駆け、『セノーテ』公開記念として『小田香特集』が開催されています。タル・ベーラの影響を受けた作品はありますか?
小田:短編の『呼応』は影響を受けているというか、ベーラと一緒に作った作品と言っていいです。ボスニアのあるところに行って1週間ぐらい日常を撮った作品で、映画学校で一番最初に創作した作品になります。ベーラとほぼ一緒に編集しました。彼が監修してくれた作品と言っていいです。半ばに、お葬式のショットがあるんですけど、もともとの長さは10分ぐらいあったんです。でも、ベーラに『長い』と言われて、観ている人がわからないように中を抜いて、6~7分になっているんですよ。自分としては長いことに意味があるんじゃないと思ってはじめそうしたんです。あれだけ長回しする人に言われて、当時は「なんで?」と思ったんですけど、いま改めてみると、7分でも長いんですよ。それで、悔しいけど彼が合ってたことに気づく。そういうやりとりが、長編デビュー作の『鉱 ARAGANE』でもたくさんありました。編集とショットに関してシビア。わたしの中では及第点だけど、ちょっと弱いかなというショットを残したりしていると、すぐに見抜いてこれはダメと言われる。悪いショットでなくても、ほかと同じような役割になっているとか、映像に少しでも乱れがあったりすると容赦なくダメを出されましたね。
――3年間学んだわけですが、彼の素顔は? 過去のインタビューや作品から、ともすると冷徹な印象も受けるのですが。
小田:実際はものすごく熱いハートをもった人です。これだけのこだわりをもって映画作りをしてきて、いろいろな苦渋を味わったでしょうから、ときにぶっきらぼうになったこともあるかもしれない。でも、ふだんはものすごく優しくて、チャーミングな人です。私が初めて会ったのは映画学校でですけど、生徒の中でも私は一番乗りでサラエボに入ったんですね。そしたら、ベーラもすでに来ていて、アシスタントの方と食事の後に、一杯飲みに行ったんです。それが初対面で、ものすごく緊張していたんですけど、彼はこんな主旨のことを言ったんです。「これから自分たちがすることはものすごい革命的なこと。ボスニアには厳しい現実があるが、あなたたちはそれを体験して、正直に作品を作っていかないといけない。そのために僕はなんでもする。あなたたちのシェルターになって助ける。だから、映画をすぐ作ろう」と。そのときの彼の瞳の力がすごくて。まっすぐに思いが伝わってきた。すごく大きなハートと情熱をもった人だと思いました。実際、口だけではなくて、ほんとうにシェルターになってくれました。映画学校に集まったメンバーは年齢もバラバラで、20代前半から40代までいて。すでに監督のキャリアがある人から、私のようにほぼ一から学ぶ人もいた。さらに劇映画でいわゆるジャンル映画を志す人もいれば、私のような作風、先鋭的な実験映画を撮ろうとしている人もいた。映画を志す人間だったら分け隔てなく受け入れて、ひとりひとり対応していました。ほんとうに度量が広い。でも、これだけ多くのメンバーを個別で対応するのはほんとうに大変だったと思います。日に日にやつれていってましたから(笑)。