地方テレビ局がジャーナリズムを体現? 映画『はりぼて』が描いた“日本社会の縮図”

『はりぼて』が描いた“日本社会の縮図”

スキャンダル慣れして居直る議員たち

 中川氏をはじめとして、早期に不正が発覚した議員たちはあっさりと辞職していく。五百旗頭氏と砂沢氏は、情報公開請求によって入手した政務活動費に関する大量の文書を精査し、印刷業者や公民館など領収書発行元を一つずつたどっていき、不正受給を突き止めた。地道な足と目による調査ジャーナリズムの勝利である。ここまでは非常にカタルシスのある展開だ。

 しかし、富山市議員の不正受給はこの後も連続して発覚。最終的には14人が議員辞職に追い込まれることになった。だが、実は不正受給が発覚したのは14人だけではない。発覚後、不正受給を認めて活動費を返還し、そのまま議員を続けている者が他に10人いるのだ。

 映画の後半になると、議員たちもある意味スキャンダル慣れしてくる。五百旗頭氏と砂沢氏はずっと同じように地道な調査でひとつずつ不正を暴いているのだが、暖簾に腕押し状態に陥ってしまう。観ているこちらも「またかよ……」という気分になり、当初感じたカタルシスを失い始める。調査報道の勝利の高揚感から、不正の連続にうんざりさせられてくるのだ。こうして居直る政治家たちの姿は国政にも重なる。ここにも日本の縮図と言える要素があるわけだ。

作り手たちのジャーナリズムの勝利に酔いしれない姿勢

 本作が優れているのは、一度冒頭で打ち立てたジャーナリズムの勝利に酔いしれて終わりにしていない点だ。政治家を糾弾するだけでなく、自分たちメディア側の姿勢に問題はないかも積極的に映し出そうとする。冒頭、カメラを持って中川議員を執拗に追いかけるジャーナリストが映し出される。撮る者と撮られる者をともに映し出すこの始まりのシーンは、映画全体の姿勢をそのまま代弁している。

 監督の一人、五百旗頭幸男氏はインタビューで、既存の「中央のメディアの振る舞いを見ていて、そうはなりたくないと思っていた」と語っている。

「例えば番組の作り方でも手前味噌で、うちがやったとアピールしたがるのですが、視聴者から見れば興ざめですよね。また富山で事件が起こると全国紙は本社から助っ人の記者が取材に来ます。例えば2011年に起きたえびす食中毒事件には、問題を起こした企業の記者会見に全国から取材が来たのですが、まだ容疑者と決まった訳でもないのに、記者たちがヤジを飛ばしたり、質問の仕方が横柄だったりすると『こうなりたくはない』と思いました。助っ人の記者が皆そうではありませんが、不遜な態度で荒らすだけ荒らして帰る記者もいるわけです。でも、ぼくたち地元のメディアは引き続きこの地で取材を続ける訳で、同じメディアとして括られ、取材を拒否されることもありました。そういう他のメディアの振る舞いを散々見てきたので、自分たちの取材で結果が出ても、今までの姿勢を変えてはいけないと気を引き締めていました」(『はりぼて』五百旗頭幸男監督インタビュー前編|Cinemagical

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