ベルリン映画祭で金熊賞を受賞した“実験映画” 『タッチ・ミー・ノット』が誘う模索への旅
劇中で何度も流れるアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの「Die Befindlichkeit des Landes」の「Mela, mela, mela, mela, melancholia」という、ダウナーながらもキャッチーなフレーズがしばらく耳に残って離れない。画面は常に洗練されているようでいて実は複雑な白さの中にあって、そこにいる人々の対話と、無機質な病院の廊下の光景が何度も反復する。かと思えば、こちら側の世界と映画の中の世界の間にもうひとつ別の世界が登場し、監督であるアディナ・ピンティリエがカメラ越しに演者に、そして時には観客に向けて語りかけてくる。
このピンティリエにとって長編初監督作となった本作『タッチ・ミー・ノット ~ローラと秘密のカウンセリング~』(以下、『タッチ・ミー・ノット』)は劇映画なのか、それともドキュメンタリー映画なのか。その両者の間の極めて不明瞭なラインを終始ふわふわと浮遊しつづける摩訶不思議な映画だ。登場する人物たちの名前は、主演のローラ・ベンソン(彼女の出演作が日本公開されるのは何年ぶりだろうか)をはじめみな実名のまま。これはもはや、映画というメディアを媒介した、ピンティリエの極私的な模索、ないしは探究であると解釈するのが相応しいかもしれない。そういった意味では、実験映画というジャンル分けが最もしっくりくる。
そんな本作は昨年、世界三大映画祭のひとつであるベルリン国際映画祭において、最高賞にあたる金熊賞を獲得した。元来作家性の強さが突出しているカンヌ国際映画祭やヴェネチア国際映画祭が、近年すっかりアカデミー賞などの賞レースに向けた前哨戦として位置付けになり、少々ポップに傾倒していることが起因してか、ベルリンの“我が道を行く”感じは殊更に際立ってきた印象を受ける(もっとも、90年代ごろにはベルリンもアカデミー賞と近しいものがあったゆえ、暗黙的なローテーションがあるのだろうか)。本作の前年に金熊賞を獲ったイルディゴ・エンエディの『心と体と』は精神世界を通してめぐり逢う男女の物語がつづられ、またその2年前の受賞作であるジャファル・パナヒの『人生タクシー』はドキュメンタリーと劇映画、つまり現実と虚構の狭間を往来する不思議な映画であった。いわば、そうした近年のベルリンが愛する挑戦的で実験的なニュアンスを極限まで突き詰めたものが、この『タッチ・ミー・ノット』という作品であるわけだ。
このタイトルである「タッチ・ミー・ノット」という言葉を訳してみれば「私に触らないで」と、主人公のローラが抱える強迫性障害の症状となかば直接的に結びつくわけだが、その言葉自体は「鳳仙花」の別名としても知られている。鳳仙花の花は触れると弾け、たくさんの種を遠くまで飛ばす。つまりは劇中の人々さながらに、繊細でありながらも、驚異的な生命力を持ちあわせているということを表しているのであろう。さらにその言葉を辿っていけば、聖書の「ヨハネによる福音書」に綴られた、イエスが復活した後にマグダラのマリアに向けて仰せられる「Noli me tangere」という言葉にまで遡ることができる。