3人の「アーティスト」から、デイミアン・チャゼル新作『ジ・エディ』を読み解く

宇野維正の『ジ・エディ』評

 熾烈な人種差別が横行する当時のアメリカ社会から逃れるために、1948年、24歳でニューヨークからパリに渡った黒人のアメリカ人作家ジェームズ・ボールドウィン(その作品や言葉が公民権運動において果たした大きな役割については、2018年に日本公開もされたドキュメンタリー作品『私はあなたのニグロではない』を是非参照してほしい)。ずっと関係を拗らせていた父エリオットと娘ジュリーは、彼のエッセイ集『切符の値段』を架け橋に、ようやくここで完全に打ち解ける。途中で物語が少々停滞していることは否めないが、そこには、ここまで7時間近く観続けてこなければ味わえない深い感動があった。そして、このシーンは本作『ジ・エディ』の根幹にあるテーマが「パリの黒人アメリカ人」であることを端的に指し示している。

 アメリカで活動しながらも、幼少期を過ごしたパリに憧れと郷愁を抱き続け、映画界で大成功を収めながらも、かつて自身がプロとして挫折したミュージシャンたちの物語を描き続けるチャゼル。「これは彼らのクラシック(古典)であって、僕らのクラシック(古典)じゃない」。「自分は長いこと自分自身を置き去りにしてきた」。その言葉に、そのままチャゼルの映画作家としてのこれまでの数奇なキャリアを重ねてみることも可能かもしれない。

■宇野維正
映画・音楽ジャーナリスト。「装苑」「GLOW」「メルカリマガジン」などで対談や批評やコラムを連載中。著書『1998年の宇多田ヒカル』(新潮社)、『くるりのこと』(新潮社)、『小沢健二の帰還』(岩波書店)、『日本代表とMr.Children』(ソル・メディア)。最新刊『2010s』(新潮社)発売中。Twitter

■配信情報
『ジ・エディ』
Netflixにて配信中

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