3人の「アーティスト」から、デイミアン・チャゼル新作『ジ・エディ』を読み解く
そんなチャゼルとゴーティエはこれまで撮影現場以外で親交を温めてきたとのことだが、彼らの共犯関係は『ジ・エディ』において「16mmフィルムでの撮影」というかたちで結ばれることとなった。粒子の荒い16mmフィルムを使用すること自体、現在メジャーのフィールドで作られる作品としては極めて稀なことだが、それをNetflixの作品で押し通してみせたのはさらに驚くべきことだ。というのも、Netflixはオリジナル作品における映像スペックに関して「作品の90%は4K以上で撮られた作品でなくてはいけない」という厳密な規定を設けていて(Netflix作品が劇場で上映される際も、上映環境と音響設備には厳しい基準が設けられている)、その規定はドキュメンタリーであってもコメディ番組であっても適用されているからだ。『ジ・エディ』では、チャゼルが監督する最初の2エピソードは16mmフィルム撮影、残りの6エピソードはデジタル撮影というかなりアクロバティックな手法で、まんまと「脱法行為」をしている。
『ジ・エディ』で16mmフィルムを使用した理由について、ゴーティエはニューヨークに拠点を置く「No Film School」(ポッドキャストなどで精力的に発信している、インディペンデント系の映画制作者たちのコミュニティ)で核心をついた発言をしている。「16mmで撮影するというアイデアはデイミアンのものでしたが、私もすぐに賛成しました。16mmを求めたのは物語の舞台であるパリ、そして本作の題材であるジャズと密接に結びついています。私たちは1960年代のヌーヴェルヴァーグと、それが1970年代のアメリカ映画に与えた影響からヒントを得ています」(引用:How Did Damien Chazelle Convince Netflix to Let Him Shoot 16mm?)。そこで「ヌーヴェルヴァーグから影響されたアメリカ映画」の筆頭としてゴーティエから具体的に作品名を挙げられているのは、ジョン カサヴェテスの『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』(1976年)だ。
なるほど、舞台はパリのジャズクラブではなくロサンゼルスのストリップクラブだが、クラブのオーナーと出演者たちの運命共同体的な関係、借金をしたことでマフィアから追われる展開と、『ジ・エディ』と『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』には物語上においても多くの類似がみられる。また、ゴーティエの口から作品名こそ出ていないが、手持ちカメラによる即興的演出、黒人の主人公と周辺キャラクター、作品とスコアの関係を超えたジャズとの近すぎる距離という点で、当然、カサヴェテスの監督デビュー作『アメリカの影』も『ジ・エディ』の主要なレファレンス作品として挙げられるだろう。
重要なのは、今回のそんな『ジ・エディ』での試みが、チャゼルにとっては原点回帰に他ならないことだ。日本では未公開のままだが、彼のインディーズ時代の監督(だけでなく脚本も撮影も編集も音楽も手がけた)デビュー作『Guy and Madeline on a Park Bench』(2009年)は、ゼロ年代においては珍しいほど青臭い、ゴダール作品やカサヴェテス作品への心酔と傾倒によって批評家から注目を浴びた作品だった。チャゼルは今回の『ジ・エディ』で、Netflixという資本、パリという舞台、そしてゴーティエという心強い共犯者を得て、再び映画作家としてのアイデンティティに立ち返ったわけだ。
さて、そんな『ジ・エディ』だが、チャゼルが監督を担当した主人公「エリオット」のエピソード1、その娘「ジュリー」のエピソード2を経て(まるでジャズの即興演奏においてソロが入れ替わるように、各エピソードで焦点の当てられるキャラクターが入れ替わっていく)、デジタルで撮影されたエピソード3以降は画面の緊張感も物語のテンションも少なからず弛緩していく。そもそも本作がゴダール作品やカサヴェテス作品への手法面におけるオマージュを現代のパリを舞台に試みた作品であるならば、全8エピソード約8時間という長尺が必要だったのかという疑問もあるのだが、劇中で最も注目すべき台詞はエピソード7終盤におけるエリオットとジュリーの次の会話だろう。
エリオット「(髪型をアフロにした娘ジェリーに)髪型を変えて、どんな気分だ?」
ジュリー「とてもいい気分よ。もう自分自身と戦わなくてもいいと思えるようになった。あの本、ありがとね(父親エリオットがジュリエットに渡したジェームズ・ボールドウィン『切符の値段』のこと)」
エリオット「ああ。でも、あの本に書いてあることだけじゃない。ここパリで、僕ら黒人の歴史はずっと続いてきたんだ。ブリックトップ(20年代から60年代にかけてパリのナイトクラブで活躍した黒人のアメリカ人ボードビリアン)」
ジュリー「(首を振る)」
エリオット「アーサー・ブリッグス(20年代以降ヨーロッパで活躍してパリで生涯を終えた黒人のアメリカ人ジャズ・トランペット奏者)」
ジュリー「(首を振る)」
エリオット「ジョセフィン・ベイカー(ニューヨークからパリに渡って成功を収め、30年代にフランス国籍を取得した黒人ジャズシンガー)」
ジュリー「彼女のことは知ってる」
エリオット「うん………。自分もずっと自分自身と戦ってきた。音楽学校にいた頃、教師たちはみんな僕に『クラシックを演奏しろ』と言ってきた。言われた通りやってきたよ。でも、ある日わかったんだ。『これは彼らのクラシック(古典)であって、僕らのクラシック(古典)じゃない』ってね。そして気づいた。自分は長いこと自分自身を置き去りにしてきたってことを」