『エール』の構造は『エヴァ』に似ている? 男性主人公の成長物語を描く朝ドラの試み
連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『エール』(NHK総合)がスタートして第8週(40話)が過ぎた。
藤山一郎の「長崎の鐘」や早稲田大学第一応援歌「紺碧の空」といった昭和を代表する数々の流行歌、応援歌を手掛けた古関裕而の生涯をモデルに作られた本作は、作曲家・古山裕一(窪田正孝)とその妻・音(二階堂ふみ)の半生を描いた物語だ。
男性主人公、4K撮影、週5日(月~金)放送といった今までの朝ドラとは違う試みを多数打ち出した『エール』だが、何より大きく違うのは、演出の色が強いことだろう。4Kで撮られた美しい映像はもちろんのこと、遊び心のあるテロップ。饒舌なキャラクターが何か言おうとした瞬間にOP主題歌に切り替わる編集など、とにかく「全部を観てほしい」という主張が画面から漲っている。
その意味でも、チーフ演出・吉田照幸の“監督作品”という側面が強い。『サラリーマンNEO』や『となりのシムラ』で知られる吉田の作風はコントバラエティ的なもので『エール』の印象は、吉田も参加した朝ドラの『あまちゃん』に近い。しかし、『あまちゃん』の中心には宮藤官九郎の脚本が強固なものとしてあり、だからこそチーフ演出の井上剛や、吉田が作品を膨らませることができた。
対して『エール』は、演出の面白さが先行しているためか、脚本のバランスが極端である。たとえば、第1週で裕一の幼少期を見せた後、第2週で音の幼少期を見せるという構成は面白いのだが、第3週で裕一の高校時代を3話かけて見せた後、銀行員となった裕一がダンスパーティーで知り合った踊り子の志津(堀田真由)と恋の顛末をたったの2話で片付けてしまうのは、どうにも忙しない。どちらも5話は欲しいエピソードである。
特に志津の正体が明らかになる場面は唐突で、彼女の口から語られる「見下されている」と思っていたという裕一への憎悪もイマイチ説得力に欠ける。彼女の家が潰れたことの背景がもっと書き込まれていれば、その憎悪にも説得力が生まれたと思うのだが、この描き方だと、男が女に感じる被害妄想の具現化にしか見えない。
こういった違和感は、他の登場人物にも感じることだ。