筒井真理子の恐ろしいほどの変容 深田晃司監督との信頼関係によって生まれた『よこがお』の凄み
「俳優」とは、恐ろしい存在である。彼らは自己という存在を極限にまで誇張させ、あるいはまた逆に否定し違う何かに変容させてしまう。2019年に公開された深田晃司監督作『よこがお』の筒井真理子ほど、恐ろしいものはなかった。
深田監督といえばこれまでにも、『歓待』(2010)、『淵に立つ』(2016)、『海を駆ける』(2018)などで、他者の介入によって“自己”が変容していく者たちの姿を描いてきた。より社会問題を反映させた『ほとりの朔子』(2013)、『さようなら』(2015)ももちろん例外ではなく、それは今作『よこがお』までも連綿と受け継がれてきたテーマの一つだ。他者との交流ーーこれをなくして人が生きていくことは難しく、この『よこがお』には“看護・介護”というかたちでも、その側面が強く押し出されている。
※以下、一部結末に触れます。
本作で主人公を演じ、恐ろしい変容ぶりを見せるのが筒井真理子だ。彼女の役どころは訪問看護師の市子という人物で、周囲からの信頼も厚く、いわゆる“善良”な一市民として人々の目には映っていた。ところが、ある事件をきっかけに、彼女の人生は一転していくことになる。甥の辰男(須藤蓮)が誘拐事件を起こしたことで、市子は“無実の加害者”として、思いがけず社会的制裁を受けてしまうことになるのだ。果たして、責任の所在は彼女にもあるのだろうか。
本作の核になるのが、市子の人生の転落。ある日、彼女が訪問看護をしている大石家の末娘・サキ(小川未祐)が行方不明に。そのサキを誘拐したのが自身の身内である辰夫だと言い出せぬまま、市子は大石家との交流を続けることになる。しかし、やがてその真実が明るみに出たときに、彼女の人生の転落がはじまるのだ。むろん、“善良”な彼女は打ち明けようとするのだが、そんなことをすれば市子はこの家庭との交流を断たねばならない。それを避けるため、彼女に密かに想いを寄せるサキの姉・基子(市川実日子)が、「黙っておくべきだ」と手引きするのだ。
筒井は『淵に立つ』でも主要な役どころを担っていた。それは他者の存在の介入によって、変容してしまう側の存在だ。例えば水面に石を投げ込めば、そこには波紋が生じる。そしてそれは“波紋が広がる”という慣用句があるように、周囲にも影響を及ぼしていく。『淵に立つ』、そして『よこがお』での筒井の役どころとは、まさにそんな水面のような存在だろう。今作における“石”とは、罪を犯した辰男であり、やがて手のひらを返すある人物であり、“無実の加害者”である彼女を責める世間であり、無自覚な闖入者となるマスコミのことだ。闖入者とは、深田作品において他者に影響を及ぼす存在として必ず姿を表すものでもある。
本作の構成は、時間の流れが直線ではない。過去と現在がシャッフルされ、観客は変容する前と後の市子の姿を交互に見つめることになり、彼女の実態をつかむことがなかなかできない。感情は宙吊りにされたまま映画は進み、スリリングな時間を体験をすることとなる。これを実現しているのは映画の編集技術などだけでなく、やはりその最たる部分を担っているのが筒井の不安定な(ように見える)“顔”だろう。凪いで見えるその表情の下には、何が隠れているか分からない。何をきっかけにして、波を起こすか分からないのである。