細田守と新海誠は、“国民的作家”として対照的な方向へ 2010年代のアニメ映画を振り返る評論家座談会【前編】

 年が明け2020年に突入。同時に2010年代という時代も終わりを迎えた。リアルサウンド映画部では、この10年間のアニメーション映画を振り返るために、レギュラー執筆陣より、アニメ評論家の藤津亮太氏、映画ライターの杉本穂高氏、批評家・跡見学園女子大学文学部専任講師の渡邉大輔氏を迎えて、座談会を開催。

 前編では、細田守や新海誠など、今や国民的作家となったアニメーション監督に注目。なお、後日公開予定の後編では、「ポスト宮崎駿」をめぐる議論の変容や女性作家の躍進、SNSとアニメーションの関係性について語り合っている。(編集部)

最初の地殻変動は2012年

――2014年に『アナと雪の女王』と2016年に『君の名は。』と、2010年代に入ってから、興行収入が200億を超える作品が出てくるようになりました。変わり目はいつになるのでしょうか?

藤津亮太(以下、藤津):まず、2012年にアニメ映画全体の興行収入が400億円を越えるんです。2012年はスタジオジブリ作品が公開されずに400億円を越えた初めての年で、1つの転換点だったと思います。これ以降は、毎年コンスタントに400億を超えていますね。また、今アニメ映画がすごく多くなっていますが、その理由の1つとしてイベント上映が挙げられます。先行例はありますが、2012年から2014年にかけては『機動戦士ガンダムUC』がOVAのイベント上映で大当たりしており、これを経て人気のあるタイトルがイベント上映でかかるという流れが確立しました。例えば『ガールズ&パンツァー』は、テレビ、劇場版で大ヒットしてから、現在OVAで全6章を展開中ですので、2010年~2012年の間に大まかなビジネス的な枠組みができて、現在があるのではないでしょうか。

杉本穂高(以下、杉本):2012年はTVアニメの『ガルパン』が当たった年でもありますね。

渡邉大輔(以下、渡邉):『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』も2012年ですね。

藤津:映画でいうと、『おおかみこどもの雨と雪』もヒットしていますね。細田守監督自身もあんなにヒットすると思っていなかったのではないでしょうか。『バケモノの子』はより一般層を狙った企画だと思いますが、『おおかみこども』は作品としてすごく小さな映画で。そういう作品が当たったことからも、2012年は2010年を語る上では一つのポイントだと思います。

杉本:細田監督は2010年代を代表する作家と言って良いでしょうね。近作では、少し毀誉褒貶もありましたけど。

藤津:賛否は分かれると思いますが、一般性を持っているアニメですよね。2010年代に入ってから一般性を持つアニメの主流が、スタジオジブリから細田守監督へ、そして新海誠監督へと短いペースで大きく変わっています。

杉本:いわゆるポスト宮崎駿の時代に入ったのが2010年代で、スタジオジブリが支配的だった時期から、複数の作家が乱立している状況へと入っていきました。

『未来のミライ』(c)2018 スタジオ地図

藤津:スタジオジブリがブランド力を確立したのはやはり90年代で、その余波が続いた2000年代は、その次を担う人たちが下積みを重ねていたフェーズです。細田監督は2006年の『時をかける少女』、2009年の『サマーウォーズ』と確実に評価を伸ばして、2018年の『未来のミライ』までの12年で大きく変わっていったし、更にはTV放送では2006年に『涼宮ハルヒの憂鬱』、2009年に『けいおん!』と、京都アニメーションや山田尚子監督も着実に準備を進めていて、10年代に入ってから劇場で力を発揮します。

杉本:新海監督も00年代の時に後のヒットに繋がる下準備をしていたと。

藤津:そうですね。『君の名は。』でブレイクしたのは新海監督が14年目の時ですからキャリアは十分にありますよね。

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