“仮面ライダー自身が仮面ライダーを超える”二重構造 劇場版は『ゼロワン』という物語の所信表明に

 振り返れば、2019年は仮面ライダーシリーズにとって怒涛の一年であった。

 元はファンの俗称に過ぎなかった「平成ライダー」というラベリングが、いつの間にか公式に取り込まれ、はや幾年。その元号の最後に登場したのは、タイムトラベルを重ねて歴代のライダーと邂逅する、『仮面ライダージオウ』という骨太な物語であった。10年前の『仮面ライダーディケイド』とは異なり、積極的にオリジナルキャストを登場させ、その度にSNSを中心にネットを広く沸かせていく。より今風なアプローチが込められた、そんなTV番組として駆け抜けていった。

 期せずして「平成ライダー」という呼称を取り込んだからこそ、「令和ライダー」の始まりを意識せずにはいられない。四方八方から「新たな始まり」を求められたであろう『仮面ライダーゼロワン』は、AIやシンギュラリティといったテーマを扱いながら、「新しさ」の形成に挑む。その物語の重要ポイントに位置付けられたのが、昨年12月に公開された映画、『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』である。 

「偽の歴史」を語り口に「本来の歴史」を仄めかす構造

 ある日飛電或人が目覚めると、そこは人工知能搭載型ロボット・ヒューマギアが支配する世界に変容していた。アナザーゼロワンという見知らぬ強敵、そして、大挙として押し寄せるヒューマギアたち。絶体絶命の或人の前に、最高最善の魔王として新たな世界を創造した常盤ソウゴ(仮面ライダージオウ)が現れる。ソウゴの導きにより、歴史が分岐した12年前を訪れる一行。そこには、或人の育ての父であるヒューマギア・飛電其雄の姿があった……。

 本作では、『ゼロワン』のパイロットを務めた杉原輝昭監督がメガホンを取っている。同監督が得意とする「魅せるアクション」は健在。こだわりのガンアクションや、CGを多用したアクロバティックな画作りなど、映像面の見どころは枚挙にいとまがない。物語の鍵となる飛電其雄を演じた山本耕史は、その端正な存在感を遺憾なく発揮。オールドファンにも嬉しいデザインに仕上がった仮面ライダー1型として、時を超えてやってきた息子の前に立ち塞がる。また、井桁弘恵演じる刃唯阿の貴重なポニーテール姿も必見だ。

 『ジオウ』の物語設定の基盤にあった、アナザーライダーと偽の歴史というギミック。本作『令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』では、それらを舞台装置として導入することで、『ゼロワン』世界の原点に触れていく。時を超えて暗躍するタイムジャッカーによってアナザーライダーが生まれると、仮面ライダーの本来の歴史は変容し、偽の歴史に置き換えられてしまう。これを『ゼロワン』の前日譚に適用することで、「偽の歴史」を語り口に「本来の歴史」を仄めかす構造だ。

 TVシリーズという本筋のためか、衛星アークに関わる真相は隠しつつ、その時代に生きたキャラクターの精神性を抜き取っていく。つくづく、『ジオウ』という作品の特異さを思い知らされる。本来あり得ない「親子ライダー対決」を、こうした「if(もしも)」の舞台を活用することで実現させるのだ。まさに夢の対決である。

 劇中にて、ジオウに変身するソウゴは、「仮面ライダーに原点も頂点もない!」と声高々に叫ぶ。いや、その歴史には、原点も頂点もあったはずなのだ。偉大なる歴史の第一歩である本郷猛の仮面ライダー1号や、2000年に放送された『仮面ライダークウガ』など、時代をゼロから始めた作品は確かに存在した。

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