『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は、追加シーンによって何が変わったのか

 こうの史代の同名漫画を原作に、2016年に日本で予想外の大ヒットを記録し、異例のロングランを達成したアニメーション映画『この世界の片隅に』。多方面より多くの賛辞が送られている作品だが、そこに“さらにいくつもの”シーンを製作し、本編に追加したのが、新たに劇場公開された、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』である。

 もともと、日本の劇場アニメーションとしては、129分という長めの上映時間だったオリジナル版だが、本作は加わったシーンによって、168分と、3時間に迫る大長編作品となった。

 ここでは、加えられたシーンによって何が変わったのか、その考察にくわえ、この機会にもう一度本作全体を総括し直してみたいと思う。

 『この世界の片隅に』は、日本が戦争に突き進み敗戦を迎えるまでの昭和の時代を背景に、広島から呉へと嫁いだ、絵を描くことが大好きな“すずさん”を主人公に、戦争のなかの日常と、戦争によってあり得たはずの日常が壊されていく様子が描かれていく作品。本作『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は、遊廓の女性リンの描写を中心に、原作から割愛していた部分を新たに追加している。

 これによって、いままで『この世界の片隅に』単体では不可解に思えた部分が、すっきりと理解しやすくなった。すずさんと結婚する周作が、なぜ浮かない顔をしていたのか、すずさんの幼なじみの水兵の寝床に、なぜすずさんを行かせたのか。これらの理由が、周作とリンとの関係が明らかにされていくことで、すんなりと納得できるものとなった。そして作品全体に、ある種の恋愛映画としての意味がくわわったということになる。

 恋愛についての描写が増えたことで、「戦争映画としての意味合いが薄まったのでは」という意見もあるかもしれない。しかし、全体の構造を俯瞰して見ることで、じつはこの恋愛描写が、作中で語られる太平洋戦争への批判部分へと、つながりを見せることが分かってくる。

 鍵となるのは、もともと作品に含まれていた“ミステリー”の要素である。広島で家業を手伝いながら、持ち前のマイペースさでのほほんと暮らしていたすずさんのところに、突然転がり込む縁談の話。じつはこれには、周作とリンの関係と、それを案じた周作の家族たちのバックストーリーがあった。すずさんはそんな事情を何も知らず、流されるように呉へと嫁いでいく。

 だが、日常に散りばめられたヒントをつなぎ合わせていくことで、すずさんはついに、隠された残酷な事実へと到達してしまう。本作が追加シーンによって描くのが、この箇所である。「言わぬが花」という言葉があるように、すずさんにそれを隠していた周囲の気持ちも理解できる。すずさんにとって、そんな事情を知らない方が幸せだったかもしれない。しかし、欺瞞のなかで生活することが、本当の意味での幸せだろうか。それで現実を生きているといえるのだろうか。

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