【ネタバレあり】『スター・ウォーズ』続3部作とは何だったのか 小野寺系が“失敗の理由”を解説

『SW』続3部作とは何だったのか

リスペクトすら失った「エピソード9」の惨状

 さて、本作『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(エピソード9)がどうだったのかというと、やはりエピソード7同様、既視感ばかりを覚える描写のオンパレードである。ミレニアム・ファルコンに乗るランド・カルリジアン、銀河皇帝とふたりのジェダイの戦い……。これらはエピソード6そのままの要素だ。

 しかし、さすがに製作陣も、「全く同じじゃないか」と言われないよう、エピソード6よりもスケールアップさせたセットを用意したり、エピソード3を彷彿とさせるセイバーアクションを描くなど、苦労があちこちで垣間見える。“「同じだ」と言われないような範囲で、同じものを作る”。この、冗談みたいな矛盾した要素を、一作で実現させるのは困難なことであっただろう。だが結果としては、やはり「同じじゃないか」と言いたくなるような内容になってしまっている。

 問題は、製作陣が“パワーアップ”だと思っている箇所にこそある。銀河皇帝の玉座や、空を埋め尽くす艦隊は、あまりにも抽象的なイメージでしかなく、誰もが想像する“悪の軍”そのものの姿だ。いままでルーカスが表現していたような、具体的にそこでキャラクターたちが生きることができるようなイメージが、ここでは全く喚起されてこない。つまり用意されているのは、ただの舞台の“書き割り”でしかないのだ。

 エピソード4が公開されたことで、当時の日本でも、コアなファンたちは、本気になってデススターのサイズについて白熱した議論を交わすなど、フィクションの世界にのめり込んだ。なぜなら設定の面白さ、奥深さが、他のSF作品を大きく凌駕していたからである。豊かな創造力と、異常ともいえるこだわりによって観客を魅了してきたのが、SWシリーズである。その奥行きを、「続3部作」にはあまり感じることができないのだ。これは、監督の設定に対する興味の有無はもちろん、製作の準備期間の少なさも関係しているのだろう。

 エピソード9がさらにひどいと感じるのは、戦いの結末部分だ。レイが皇帝のパワーに耐えきれず倒れ、最大のピンチに陥ったとき、助けようとするのは歴代のジェダイたちの声だった。そう、エピソード4で、死んだはずのオビ=ワン・ケノービの声が、ルークに助言を与え勇気づけたようにである。そして、みんなのパワーで悪のパワーに打ち勝つのだ。だが、そこまでやってしまうと、日本の少年マンガやアニメ作品の一部によくある、工夫のない大味な展開そのものに見えてしまう。死を乗り越えて復活してしまった皇帝を打ち倒すとしたら、それはジェダイたちの霊が集結するしかない、そう考えたのだろう。しかし、まさかSWサーガの決着が、そんな風についてしまうとは……。

 そもそもエピソード6で、シスの力を打ち倒すことができたのは、歴代のジェダイの力などではなかった。ルークが家族の情によってダース・ベイダーの心を変えたためである。「新3部作」では、悪の心につけこまれないために、ジェダイ評議会は、親や恋人への情や執着を捨て去ることを、アナキン・スカイウォーカーに命じていた。アナキンはそれに反発することで、ダークサイドへと接近していくことになるのだ。しかしアナキンはエピソード6において、自分をダークサイドに導いたはずの情によって、ふたたび正義の側へと帰ってくる。人間の感情を持ちながら正しいことをなすという新しい価値観。この“宗教改革”ともいえるめざめこそが、シスを乗り越え、ジェダイすらも乗り越え、ライトサイドとダークサイドに分かれていた“フォース”にバランスをもたらすことになったのだ。

 だが、本作でシスにトドメをさすのは、その多くがライトサイドにあったジェダイたちの力である。これは、どういうことなのか? そもそも、エピソード9では、銀河皇帝の復活がまず示される。ジェダイすらも乗り越えたアナキンは、結局シスを滅ぼすことができなかったということだ。そしてクライマックスでは、ジェダイの力を合わせたものがシスを滅ぼしてしまう。そこにアナキンの力も加わっているのは確かだが、最終的にジェダイの力の一部としてしか扱われないのでは、「新3部作」で醸成された、深みのあるロジックが台無しになっているように感じてしまう。おまけに、霊体になれる方法を知っているのは、ごく一部のジェダイだという設定も破壊された。

 アナキンは銀河を救う救世主ではなかったのか? 「フォースのバランス」という概念はまやかしだったのか? エイブラムス監督は、「新3部作」を軽視するあまり、いままでの物語が表現する思想を無視してしまったのではないのか。そんな作品に、過去へのリスペクトや、“SWらしさ”があるというのか。

 そしてエピローグでは、過去のライトセーバーを、エピソード4の出発点に埋める様子が描かれる。掘り起こした「旧3部作」の伝説を、また埋め直すという、「続3部作」自体を象徴する場面だ。そして、これから新しいSWが始まっていくことを暗示するように、新しいライトセーバーが登場する。

 そこで考えさせられるのは、結局“「続3部作」とは何だったのか……”ということだ。いままで6作をかけて描かれた、帝国の勃興と反乱軍の戦い。その一部を、またファンのためにやり直してみせただけではないのか。しかも、ルーカスよりも拙く、さらにその思想を無視して、新たな創造をほとんど行わないというかたちで。おまけに、エピソード6で大団円を迎えたはずのキャラクターを何人も死なせてしまってまでである。「旧3部作」の後味を変化させられた往年のファンたちは怒らないのだろうか。

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