4コマ漫画の実写化作品はなぜ泣けるのか? 『殺カレ死カノ』『ぎぼむす』『自虐の詩』から考察

4コマ漫画の実写化作品が生まれる理由とは?

 最近、ある映画を観て、自分でも信じられないほど涙が止まらなくなった。間宮祥太朗、桜井日奈子主演、小林啓一監督の映画『殺さない彼と死なない彼女』である。単なる10代向けの青春恋愛映画だと思わせておいて、世代を問わず多くの人々が感嘆の声を挙げ、感動の涙で咽ばずにはいられなかった傑作だ。原作はTwitter投稿から始まった世紀末による同名4コマ漫画。

『殺さない彼と死なない彼女』(KADOKAWA)

 ここで考える。なぜ、「泣ける4コマ漫画」は多く、「泣ける4コマ漫画の映画化・ドラマ化」は成功するのか。桜沢鈴原作『義母と娘のブルース』(ぶんか社)、業田良家原作『自虐の詩』(竹書房)、そして世紀末原作『殺さない彼と死なない彼女』(KADOKAWA)の3本を取り上げて分析する。

 必ずしもそうとは限らないが、特にストーリーものの4コマ漫画は、基本的に4コマ以内で起承転結を納めなければならず、見開き1ページに4コマが4本といった感じで、複数本が1つの物語として繋がっている場合が多い。この、制約があるからこそ生まれる自由で挑戦的な表現、緩急自在のリズム感が4コマ漫画には存在している。例えば『義母と娘のブルース』では、夫・良一の死という重要な局面において、習慣化された恒例のパターンが畳み掛けるように短いスパンで、複数の一人称によって繰り返されることによって、物語自体を大きく揺さぶる。

『義母と娘のブルース』(ぶんか社)

 また、小さな起承転結のドラマが何度も繰り返され続けるために、ストーリー漫画より、脇役の人生にスポットライトを当てやすい。『自虐の詩』の登場人物たち全てに愛を感じずにはいられないのは、基本的に幸江とイサオの物語である一方で、あさひ屋のマスターや隣のおばちゃんなどのキャラクターがメインの挿話がいくつか潜んでいるからだ。

 とはいえ、ただ起承転結を繰り返すだけでは映画・ドラマは成立しないため、4コマ漫画の実写化は容易ではない。監督・脚本家の、物語を再構築し、原作の世界観を具現化する手腕と独創性が試される。だからこそ、原作と奇跡的に調和しつつ、映画・ドラマならではの表現に挑んだ傑作が生まれやすいのである。

 例えば、正月特番が待ち遠しい『義母と娘のブルース』(TBS系)。森下佳子が脚本を手がけ、綾瀬はるかが母親として奮闘する元敏腕キャリアウーマンを演じた。映像だったから描けた、原作にはない名場面がある。原作では、入院中の良一が「僕はパリッと黒の衣装、君とみゆきは真っ白なドレスを着てさ」と言った3日後に亡くなり、亜希子が「まさかまったく逆の色を着ているなんて」と白装束の遺体を前に喪服で呟く一幕が1ページの中で描かれているだけだ。

『自虐の詩』(竹書房文庫)

 その「まったく逆の色」に服が変わってしまうという、ドラマの中で言うところの切ない「奇跡」を、死に向かう5話の終盤、夫婦が電車から写真館に向かう過程を白を基調に描き、良一の死後である6話を通夜と喪服の風景で黒を基調に描くことで示した。この哀しい奇跡をたった1ページから作りだすドラマの凄みを感じる。

 続いて、幸薄い幸江とイサオの愛を描いた業田良家原作の『自虐の詩』。阿部寛、中谷美紀主演、堤幸彦監督で2007年に映画化された。原作の後半、現在のささやかな幸せをかき消すほど過酷な幸江の過去で物語が埋め尽くされ、幸江含め登場人物たちが母親の子宮から顔を出す絵によって「もう一度生まれる」ことが描かれる。その後、「幸や不幸はもういい、どちらにも等しく価値がある。人生には明らかに意味がある」という人間賛歌に辿りつく終盤の素晴らしさと凄まじさは筆舌に尽くしがたいものがあった。では映画はどう描いたのか。

 子宮口から顔を出す人間を描くわけにはいかない映画は、代わりに全篇を通して「球体、円」というイメージで統一することでそれを描いた。例えば、原作にはない幸江の事故の場面で描かれる、自転車の車輪と転がる5円玉が落ちる先のマンホール。イサオがお守りだと渡す5円玉のお守り。原作では百円札だった熊本さんの数珠繋ぎの5円玉という餞別。これもまた、いかに原作の面白さを映像として損なわずに描くために考えつくされた作品だ。

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