『HUMAN LOST 人間失格』が描く、SFダークヒーローと“太宰文学”の深い結びつき 『AKIRA』『踊る大捜査線』のオマージュも

SFダークヒーローと“太宰文学”の深い結びつき

 それでは、本作におけるキーワード、“人間失格”とは何なのか。それは、文字通り“人間の姿でなくなってしまうこと”を意味している。作中の日本国民が常時接続されている医療システムには、じつは重大過ぎる欠陥があった。システムと肉体の接続をカットすると、制御されていた体組織が暴走を開始し、化け物のような姿に身体が変化してしまうのだ。つまり、日本国民は死を克服する代償として、すでに化け物に変えられていて、技術の力で体内の活動を押さえつける操作が常時行われていることで、人間の姿かたちをなんとか保っていたということである。ここでは本作は、人間がおそろしい存在に変化する恐怖と悲しみをショッキングに描いた『デビルマン』に接近している。

 システムの影響から逸脱した葉蔵は、そのような異形の姿に変身することで強大なパワーを得る、異能のダークヒーローへとなっていく。ここで生じる、人間から離れていくという苦悩は、『仮面ライダー』シリーズや『サイボーグ009』など、いくつものヒーロー作品で、同様の苦悩を表現した石ノ森章太郎作品にも見られ、日本の後進の作品に受け継がれた定型的な要素といえよう。

 だが、“自分は人間なのか、そうでないのか”という苦悩は、もともと太宰が小説で書いた、周囲の人々と自分が違うと感じることで悩み続けた主人公の心情と重なってもいるのだ。

 小説『人間失格』は、そうやって自己嫌悪を重ねながら転落の道を歩む主人公の日々を描いている。だが同時に、ある登場人物によって、主人公の苦悩とは裏腹に、とても良い人間だったとも語られているのである。

 社会に生きる多くの人々は、自分が紛れもなく“人間らしい人間である”と信用しきっている。しかし主人公は、人間であろうとして、それでも人間性を獲得できないという強迫観念にさいなまれている。このような繊細さを持ち、周囲の人間から疎外されていると感じる者こそが、じつはより“人間的”なのではないだろうか。

 哲学者ブレーズ・パスカルは、「人間は一本の葦に過ぎない。 だがそれは考える葦である」と記した。 これは、人間は本質的に孤独で弱い存在だということを示すとともに、ものを考えることのできる素晴らしさを持っているということを表している。つまり、考え悩むこと自体に人間らしさが宿っているということだ。

 本作で日本に住む人々のほとんどは、人間の姿をしてはいる。だが、その中身は異形の存在に、知らず知らずにすり替えられてしまっている。それは多くの人々が、自分の生きる意味などを考えず、与えられた境遇のなかで疑問を持たずに、ただ生かされていることで、人間性を奪われていることを表しているのではないだろうか。それに比べると、むしろ人間のかたちを失い、苦悩のなかで自分の生き方を選びとっていく葉蔵こそが、人間の生き方を体現しているように思えるのだ。このように、人々の考える“人間らしさ”をひっくり返そうとすることこそが、じつは太宰が『人間失格』に込めた想いだったのかもしれない。

 このように考えると、SFダークヒーローと“太宰文学”という、一見すると全く違うと思えるものをベースに描いた本作の要素は、じつは深いところで結びつけられていると感じられるのである。こういった奥行きがあることが、本作の価値を高めているといえよう。

※大庭葉蔵のぞうは旧字体が正式表記。
※木崎文智の「崎」は「たつさき」が正式表記。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『HUMAN LOST 人間失格』
11月29日(金)全国公開
声の出演:宮野真守、花澤香菜、櫻井孝宏、福山潤、松田健一郎、小山力也、沢城みゆき、千菅春香
原案:太宰治『人間失格』より
スーパーバイザー:本広克行
監督:木崎文智
ストーリー原案・脚本:冲方丁
キャラクターデザイン:コザキユースケ
コンセプトアート:富安健一郎(INEI)
アニメーション制作:ポリゴン・ピクチュアズ
企画・プロデュース:MAGNET/スロウカーブ
配給:東宝映像事業部
(c)2019 HUMAN LOST Project
公式サイト:human-lost.jp
公式Twitter:@HUMANLOST_PR

『HUMAN LOST 人間失格』本予告

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