池田エライザ、ディーン・フジオカ、木村拓哉 秋ドラマに集結する天才キャラクターを考察
才能を予想外の方向にこじらせた「変人/変態」や「自称天才」まで天才のバリエーションは幅広い。『まだ結婚できない男』(カンテレ・フジテレビ系)の桑野信介(阿部寛)は優秀な建築家だが、偏屈すぎる性格が災いし、53歳になってもいまだに独身。奇行すれすれな桑野の言動は、歴史上の天才エピソードにも通じる。『俺の話は長い』(日本テレビ系)で生田斗真が演じる岸辺満は実家暮らしのニートで「言い訳と屁理屈の天才」(公式サイトより)。家族が織りなす会話劇の中心には常に満の言葉がある。ある意味で、桑野や満は「天才になりそこねた凡才」と言えるかもしれない。彼らの自己認識と周囲の評価のギャップが何とも言えないおかしみを醸し出す。
「天才とは1%のひらめきと99%の努力」とはエジソンの言葉だが、天才と凡才の間にそびえる壁を超えようと、あらゆる挑戦が繰り返されてきた。既出作でいえば、映画『バクマン。』(2015年)で、マンガ家を目指す高校生の真城最高(佐藤健)と高木秋人(神木隆之介)のコンビが天才高校生・新妻エイジ(染谷将太)に勝負を挑んだ。週刊少年ジャンプを舞台に、少年誌特有の成長ストーリーがマンガの中と外で同時進行する図式からは、根強いヒーロー願望とともに天才を客観視する醒めた視線が感じられた。
ドラマパラビ『ミリオンジョー』(テレビ東京系)は、そんな少年誌的な成長ストーリーを逆の視点からとらえた作品。国民的大ヒットマンガの作者が死亡するが、担当編集の呉井(北山宏光)とアシスタント寺師(萩原聖人)は作者の死を隠蔽して連載を続ける。いつバレるかわからないスリルと束の間の全能感。凡才が天才になり替わるというモチーフは、天賦の才能という概念に疑問符を投げかける。
『左ききのエレン』原作には「才能とは集中力の質である」という言葉が登場する。創造性を求められる世界で、天才を凡才から隔絶した存在として描くのではなく、同じ地平に立つ人間として認知すること。憧憬の対象でなく、さりとて安易な共感を受け付けない、近くて遠い存在。「天才になれなかった全ての人へ」向けた大人の成長ストーリーが照射するのは、私たち一人ひとりの願望と才能の形かもしれない。
■石河コウヘイ
エンタメライター、「じっちゃんの名にかけて」。東京辺境で音楽やドラマについての文章を書いています。ブログ/twitter
■放送情報
MBS/TBSドラマイズム『左ききのエレン』
MBSにて毎週日曜24:50~
TBSにて毎週火曜25:28~ ほか
主演:神尾楓珠、池田エライザ
原作:かっぴー/nifuni『左ききのエレン』(集英社『少年ジャンプ+』連載中)
かっぴー『左ききのエレン』(『cakes』連載)
監督:後藤庸介
脚本:根本ノンジ
制作:共同テレビジョン
製作:ドラマ「左ききのエレン」製作委員会・MBS
(c)かっぴー・nifuni/集英社(c)ドラマ「左ききのエレン」製作委員会・MBS
公式サイト:https://www.mbs.jp/eren_drama/
公式Twitter:@eren_drama
公式Instagram:@eren_drama