『ジョーカー』と『テッド・バンディ』が共有するテーマとは 米史上最大の悪は私たちのすぐそばに

 殺人など凶悪犯罪の報道を目にする度に、「なぜ犯人は、そんな非道なことができるのだろう」と思うことがある。ましてや快楽や私欲など身勝手な理由で何人もの人を殺す人間の心理など全く理解できないし、そんな人物はまるでモンスターのような存在だと考える人は多いはずだ。

 しかし、アメリカでシリアルキラー(日常的に殺人を繰り返す人物)の代名詞となった男の実話を基にした映画『テッド・バンディ』は、殺人者に対して多くの観客が持っている、これまでの判断や価値観を覆されることになるかもしれない衝撃作だ。ここでは、そんな本作『テッド・バンディ』が放つ“真のおそろしさ”について、現在注目を浴びている映画『ジョーカー』と共通する点も挙げながら掘り下げていきたい。

 テッド・バンディは、名門ワシントン大学出身で、ユタ州に移ってからはロースクールで法律を学んでいた、IQ160といわれるエリートだった。知性にくわえ美しい容姿と、人を惹きつけるカリスマ性を持ち、彼はそんな自分の魅力を駆使して女性を誘惑し、立証されているだけで30人以上、おそらくはさらにおびただしい数の女性を暴行し殺害したといわれる。

 数々の殺人容疑でバンディが逮捕されると、彼は意見の相違から弁護士を解任し、自分自身で弁護を始めた。その姿は奇妙にも、雄弁で自信に満ちていた。TVなどでその様子が報道されると、一部の女性が彼に魅了され、いくつものファンレターを出し、“テッド・バンディ親衛隊”までが生まれたという。

 本作は、そんなバンディが殺害を繰り返していくような内容になるのかと思いきや、興味深いことに、その正反対のものが映し出されていく。それは、彼があるシングルマザーの女性と出会い恋愛をして、彼女の娘にも親の立場としての愛情を注ぐという、ロマンスや日常的な生活の描写だ。そんなバンディが、ある日警察に逮捕される。彼は「無実だ」と訴え、長い裁判を戦い続けることになるのである。

 このような物語の語り口が、観客を驚かせ動揺させる。テッド・バンディは、じつは無実の罪で捕まったのだろうか? 真犯人は、もしかしたら他に存在する可能性があるのだろうか? 観る者の脳に、本作は無実かもしれない、誠実なバンディのイメージを差し込んでくる。

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