ビートルズを巧みに使ったヒップホップ映画 『イエスタデイ』で描かれた「Let It Be」のテーマ

ビートルズを巧みに使ったヒップホップ映画

 「ありのまま」といえば『アナと雪の女王』(2013年)の主題歌「Let It Go(自分を解放しろ)」だが、これは文脈的に「Let It Be」と性格が異なる。エルサが抑圧していたのは魔法の力を持つ強い自分で、ジャックが抑圧していたのは冴えない音楽家である弱い自分だからだ。両者は「ありのまま」という意味合いにおいて、正反対のベクトルを向いている。結局ジャックは他人の曲を自分のものとして発表し、レコード会社のブランディングとともに成功を収めたが、手に入れた栄華は「ありのまま」ではない。当然のように彼は自己矛盾に悩まされ、大切なものを初期ビートルズに似た風貌の男に奪われる。この演出はとても良くできていた。

 『イエスタデイ』は他人の受け売りで自分を偽り、日常を失った哀れな男の物語だ。前述の通り、これは現代を生きる我々のことであり、同時にマーケティング/ブランディング/コンプライアンスに溺れるさまざまな業界に対する皮肉でもある。楽曲販売の戦略会議におけるスタッフの空虚な拍手も、黒人A&Rが「ホワイト・アルバム」をダイバーシティの観点から否定する滑稽なシーンも、実にクリティカルな表現だ。そもそもヒメーシュ・パテルはインド系移民2世のイギリス人。その彼がビートルズを歌うこと自体、社会的にもビートルズ史的にも興味深い。

 さて、ジャックから大切なものを奪うのもビートルズなら、彼の内側を吐き出させるのもまたビートルズだ。特に冒頭で触れた「Help!」の演奏シーンは胸が張り裂けるほどのカミングアウトである。これほどこの曲を効果的に使った作品も他にないだろう。作品全体を通してビートルズという巨大なロックの古典が、より大きな物語を展開するためのピースとして巧みに使用されていた。そして何より上手いのは、映画のタイトルが『イエスタデイ(Yesterday)』であること。どんなに悪いことが起きても物語で起きるすべてのことは所詮「昨日」の話。大事なのは「今日」はどうなのかなのだ。それは主人公・ジャックだけではなく、我々にも日々問われている。

 そして、この「あるがまま」というテーマはロックというよりも、ヒップホップでよくあるトピックである。よって当作をビートルズを使ったヒップホップ映画だ、と言うことも可能だ。そう考えると冒頭にジェイ・Zとチャイルディッシュ・ガンビーノの名前が挙がったのも不思議ではなく、この作品が隅々まで実によくできた映画であると言わざるをえない。

■小池直也
ゆとり第一世代・音楽家/記者。山梨県出身。サキソフォン奏者として活動しながら、音楽に関する執筆や取材をおこなっている。Twittet(@naoyakoike

■公開情報
『イエスタデイ』
10月11日(金)全国ロードショー
監督:ダニー・ボイル
脚本:リチャード・カーティス
製作:ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、マット・ウィルキンソン、バーニー・ベルロー、リチャード・カーティス、ダニー・ボイル
製作総指揮:ニック・エンジェル、リー・ブレイザー
出演:ヒメーシュ・パテル、リリー・ジェームズ、ケイト・マッキノン、エド・シーラン
配給宣伝:東宝東和
(c)Universal Pictures
公式サイト:https://yesterdaymovie.jp/
公式Twitter:https://twitter.com/YesterdayJP
公式Facebook:https://www.facebook.com/YesterdayJP/

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