『SAO』の設定を引き継ぎ『君の名は。』に接近 『HELLO WORLD』でなされた意義深い試み

 “高校生の恋愛”要素とSF要素を組み合わせた劇場アニメーション作品が、近年多くなってきている。言うまでもなく、これは『君の名は。』(2016年)の大ヒットを受けて、同様の企画が通りやすくなったり、逆に映画会社からの同様の企画の要請に対して作り手側が応えるというケースが増えたことを意味している。そういう状況のなかで作り手がやれることといえば、そのような題材や要素などの一定の制約を引き受けながら、より意義のあるものを創造するという部分であろう。

 その中において、本作『HELLO WORLD』は、面白い試みがいくつも見られる野心作となっている。ここでは、そんな本作の興味深い点を追いかけながら、近年のアニメ事情を様々に考察していきたい。

 『君の名は。』のヒットからくる、同様の企画の乱立というのは、ハードな表現を求めるアニメファンや、作家性の強い多様なアニメーション表現を求める観客からはネガティブに語られがちだ。本作においても、劇中のボーカル曲とともに恋愛が進行していくという『君の名は。』そっくりのシーンが現れる場面で、筆者のように「うわ、始まった……」と身構えてしまう観客は少なくないのではないか。

 そういった面はもちろん否めないものの、『君の名は。』のヒットの一因となったのは、内省的な表現が目立っていた、日本のアニメーションの状況を打ち壊した部分だったこともたしかであろう。例えば本作では、学校の図書委員になった主人公とヒロインが、共通の趣味である本の話をすることで、文字通り距離が縮まっていくというシーンに代表されるように、『君の名は。』の要素をとり入れるという試みは、コアな作品群において省略されがちだった普遍性のある基本的なドラマ表現に、一度アニメーションを立ち返らせる効果があったのではないだろうか。

 つまり、同様の企画で作品をつくるアニメ作家たちは、それぞれに“人間を描く”というシンプルな課題に向き合わざるを得なくなったということだ。その結果として、普遍的な感情表現の競争が起きれば、今後の日本のアニメーションにとって、悪い材料ではないはずである。押井守監督が『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)を手がけた理由の一つとして述べていたのは、もともと「最近のアニメーターは人間を描くことができない」という不満を前提に、「ならサイボーグを描かせたらいい」という気づきがあったからだという。

 本作で興味深いのは、基本的にCGでキャラクターが造形され、演技させているといった点である。押井監督の言うような“最近のアニメーター”よりも、さらに感情を描くことが苦手なのではと思える手法によって、“人間を描く”。これが表現としての本作の挑戦であろう。ここでは3DCGを手描き表現に近づけるため、“トゥーンシェイダー”といわれる、CG独特のヴィジュアルを二次元のコミック的な風合いに変化させるソフトを使用する方法をとっている。その試みは本作で「完全に成功している」とまではいえないものの、本来はCGが苦手なはずの日常生活の表現を、さして違和感のないレベルで二次元的なヴィジュアルに変換できていた点は評価すべきだと思える。

 何より、この手法が活きているといえるのは、本作のストーリー上で早い段階に明かされるように、ここで描かれる世界が、じつは現実世界を克明に再現した仮想世界だったという設定である。『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』がサイボーグを描いたように、ここで描かれていたのは人間を模した“デジタルデータ”だったのである。ここにおいて、“手描きに似せたCG”という表現手法は、物語と連結したところで意味を持ち始めるということになる。

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