『アス』は地球最大の革命についての映画だ ジョーダン・ピール監督から観客への“死刑宣告”
『ブラックパンサー』(2018)が生まれたすぐ後に『アス』のような新種の映画が生まれてくるのは、現代映画の歴史的必然だといえる。『ブラックパンサー』では世界中のアフリカ系の人々が、もっぱら白人の文化だったスーパーヒーローの蜜の味を遅まきながらシェアする。これは歴史的段階として必要なものだとはいえ、世界は意外なほど変わっていないということだ。たとえば1960年代、キング牧師の時代に『ブラックパンサー』のアメコミが映画化されていたら、世界はどれほど進取の精神に富んだ現代史をたどることができただろう。しかし現実の進歩というものは、より牛歩だ。時には現在の日本のように牛歩はおろか、後ろに戻りさえする。その牛歩であるはずの現実にとって、今回の『アス』はいささか性急ではある。あたかもこの映画じたいが現実に対する復讐であるかのごとく性急だ。『ビール・ストリートの恋人たち』(2018)の黒人映画作家バリー・ジェンキンスが、ジェイムズ・ボールドウィンの原作をナイーヴかつ衛生的なリボンでクリシェ化してしまった後ではなおさらに。
『アス』の主人公一家ーーカリフォルニア州サンタクルーズに休暇を過ごしにやってきたウィルソン一家ーーは、比較的富裕な黒人夫婦とその子どもたち2人。夜になると、この一家が泊まる別荘に恐ろしい敵どもがやって来る。トランプ大統領支持の偏狭な白人レイシスト? いや、違う。逆光でよくは見えないが、どうやらウィルソン一家と同じく4人家族のようだ。別荘狙いの強盗家族? いや、違う。よく見ると、彼ら自身の分身(ドッペルゲンガー)だ。主人公であるウィルソン一家の妻アデレードを演じるルピタ・ニョンゴは、『ブラックパンサー』でスーパーヒーローのお妃候補、ナキア役を務めた。アデレードの心には恐るべき幼少体験がトラウマとなって取り憑いているため、今回のサンタクルーズ行きも内心は気乗りしなかったが、悪い予感は図星だったのだ。邪悪な分身たちは容赦ない。「本家」の事情などまったく気に留めないどころか、「本家」を滅ぼし、「本家」のライフスタイルを乗っ取ってやろうと、モンスターのわりにはきわめて計算高く準備してきている。
アデレードのドッペルゲンガー(分身)は主張する。「私たちもアメリカ人(Us)だ」と。そしてニュース速報によれば、全米各地のドッペルゲンガーたちが一斉蜂起したようである。1960年代に『ブラックパンサー』が作られなかった無念を取り戻すかのように、一斉蜂起が始まったのだ。これは革命についての映画であり、地下の暗闇で息をひそめて暮らしていたもう1人の私たち(A’, B’, C’, D’……)が一斉蜂起し、私たち(A, B, C, D……)からすべてを奪還する、地球最大の革命についての映画だ。「本家」たる私たち(A, B, C, D……)は、搾取者としての自覚すらも欠いた反革命分子として容赦なく打倒され、あえなく処刑される運命にある。幼少期からいち早くトラウマにさいなまれてきたアデレードに率いられたウィルソン一家のみが、革命集団と互角以上の善戦ぶりを見せる。
ドッペルゲンガーはゾンビのようにただ単に気のふれた、呆然と生気を喪失したモンスターとしては写されていない。アデレードのドッペルゲンガーがどうやらグル(導師)を務めているらしい彼ら革命集団には、彼らの行動原理があり、フォーメーションの手順がある。基本的に彼らの襲撃方法はマン・ツー・マン・マークであるが、場合に応じてそのフォーメーションを崩すことも辞さない。その動線を、D・R・ミッチェル監督『イット・フォローズ』『アンダー・ザ・シルバーレイク』、M・N・シャマラン監督『スプリット』『ミスター・ガラス』といった、現代アメリカの重要作品を担当しまくっている撮影監督マイク・ジオラキスが、即物的な寄りのショット、冷たい引きのショット、熱いアクションのショットを、ダイナミックに使い分けつつ、革命的映画を革命的にオーガナイズしてみせている。セット・美術を担当したのは、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『ザ・マスター』『インヒアレント・ヴァイス』でもアートディレクションの進行を担当したポール・トーマス・アンダーソン組のルース・デ・ヨングだ。彼女は『ツインピークス ザ・リターン』(2017)のプロダクションデザインも担当している。