湯浅政明×LDHが生んだアニメーション映画の新たな可能性 『きみと、波にのれたら』の革新性とは

松江哲明の『きみと、波にのれたら』評

 私はこの「吹っ切れ」に『HiGH&LOW』を観た時のことを思い出しました。どこかで観たことのある設定、キャラクターなのに、「これがやりたいんだ」という勢いが「これまでにない映画」を生み出し、エンドロールを眺める頃には「ブルーレイ買おう」と思ってしまう、あのエネルギーを。私はドラマ版も追ってしまったのですが、まさか映画を観る前はそこまでハマるとは思ってもいませんでした。この「もっと観たい」とさせるのがLDH映画の凄みだと思います。なので、本作をきっかけに湯浅監督を知るLDHファンも多いのではないでしょうか。本来混ざらないはずの2つなのに「こことここを繋げるのか」というLDH方法論の本領発揮です。

 さらに本作を観ながら塩田明彦監督の『抱きしめたい -真実の物語-』を思い出しました。当時、チラシのビジュアルでは興味が湧かなかったのですが、塩田監督の久々の長編ということで劇場に行きました。『抱きしめたい』は、交通事故が原因で車椅子生活で記憶障害の女の子・つかさが、ごく平凡なタクシードライバー・雅己と出会って、恋に落ち、2人がさまざまな困難を乗り越えるというお話です。ですがこの映画はただのお涙頂戴のお話ではなく、雅己は人の話を聞かずに突っ走り、揉め事を起こしてばかりという、どこか常識離れした人物として描かれていました。その視点があったからロマンティックなだけでなく、ある種のコメディとしても観ることができるのです。

 例えば、女の子を壁に押し付けたりする行為って客観的に見たら相当、変な行為だと思います。映画で撮られる際はバストサイズが多いですが、壁に付かないもう片方の手はだいたい腰にありがちというバランスの悪い姿勢です。そんな「壁ドン」は恋に落ちてる状態だからこそ映る抽象的なイメージだったはずなのに、いつの間にか憧れへと変わって、次第にパロディになっています。映画(実写)は現実をそのまま映す表現です。お約束とはいえ実際には歪な行為を、さも「フィクションですから」と逃げるのではなく、一度、冷静に映画表現として捉え直す。そこが『抱きしめたい』の素晴らしさでした。

 『きみと、波にのれたら』はアニメーションでその難題に挑戦しています。川栄李奈さん演じるひな子は死んだはずの彼氏・港を水の中で見るようになるのですが、周囲から見たら明らかに頭のおかしい子に見えるのです。しかし湯浅監督の演出はそこを隠しません。主観だけでなく、客観的にこの人はおかしいですよという画をちゃんと見せます。だからこそ周りからおかしいと思われていた人に、最後に奇跡が起きるというところに観客が感動させられるのです。あのラストは彼女が感じていた孤独が昇華され、新たな一歩を踏み出すのに相応しい見事なカットでした。ラブストーリーという普遍的な物語を、湯浅監督ならではのアクロバティックな演出を通し、観客が期待する着地点へとちゃんと届けてくれます。『きみと、波にのれたら』は『抱きしめたい』のように、「この人は変わっています。だからこそ私たちは肯定する」という視点が全編守られているのです。それはキャラクターに対する愛情だとも思います。

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