【ネタバレあり】古沢良太が語る『コンフィデンスマンJP』の裏側 「都合の良い嘘の方を人は信じる」

【ネタバレあり】古沢良太が語る、ダー子の素顔

「ボクちゃんは一般人の代弁者」

メイキング

ーー2012年の『リーガル・ハイ』(フジテレビ系)以降に書かれたオリジナル作品は、コメディテイストのものが中心ですが、元々、コメディを書きたかったのですか?

古沢:そうですね。でも、『相棒』(テレビ朝日系)の時から、僕だけコメディテイストの話を書いてましたね。『相棒』は「コメディです」という演出をしないので、あまりそう思われてないですけど……。

ーー個人的に古沢さんが書かれた「聖戦」(「Season9」第10話、元旦スペシャル)が大好きで『相棒』の最高傑作だと思っています。あの話も、南果歩さんが演じる息子を殺された母親が爆弾を作って犯人に復讐するというすごく哀しい話ですが、爆弾を作っているうちにだんだん楽しくなっていく姿も同時に描かれていて、気まずい笑いがありました。

古沢:あれは殺人をしようと決めたことで彼女がどんどん輝いていくという話なので(笑)。南果歩さんも、すごく楽しんで演じてくれて、書いていて楽しかったですね。

ーー「聖戦」もそうでしたが、何かに没頭しているうちに本人が楽しくなっていくという姿が、古沢さんの作品ではよく描かれますね。『コンフィデンスマンJP』も、騙しているうちに本気になっていくことが何度もあって。特に「スポーツ編」がその筆頭でしたけど。

古沢:毎回毎回、その回のテーマを掘り下げる形で書いたのですが、スポーツは掘り下げていけばいくほど、嘘のつけないものだという気がしました。打ち込んでるうちに本気で熱くなってしまう気持ちには嘘がないから、それで行くしかないと思って書きました。

「スポーツ編」(c)フジテレビ

ーー最終的に「自分の信じたい物語」にみんなが飲み込まれていく話なのかなぁと思いました。

古沢:騙される側の人間を描く時は、その人が何を求めているのか? 何を欲しがっているのか? 何を与えると食いつくのか? それがテーマでした。世の中、いろんな意見の人がいますけど、やっぱりみんな、自分の都合のいい情報を信じるじゃないですか。

ーーむしろ、騙されたがっているのかもしれないですよね。

古沢:自分に都合の悪い本当のことよりも、都合の良い嘘の方を人は信じるんですよね。世の中はそういうふうに成り立っているので、そういうものをダー子が壊してくれたら痛快かなぁと思って書きました。

ーー今、振り返ると『リーガルハイ』シリーズは、すごく先駆的な作品で、フェイクニュースやポストトゥルースと言った言葉が普及する以前に、みんなが見たい物語を求める状況を描いていたと思います。逆に『コンフィデンスマンJP』はまさに現在の話で、毎回「コンフィデンスマンJPの世界にようこそ」と言いますけど、実は僕たちはすでにあの世界にいるのではないかと思いました。

古沢:そうなんですよね。それが表現できていればいいんですけど。

ーー古沢さんのドラマはエンドロールで物語を引っくり返すことが多いですよね。特に『コンフィデンスマンJP』は、ボクちゃんが守ろうとしていた被害者が実は思っていたような人たちじゃなかったという話が何度かあったのがショックで。ボクちゃんもまた、守るべき弱者、純粋な被害者に対して都合のいい幻想を見ていたということなんでしょうか?

古沢:それは一般の人がそうだからなんじゃないですかね。ボクちゃんは一般人の代弁者でしたので。

ーーただ、嫌な気持ちにはならないんですよね。『リーガルハイ』もそうでしたけど、視聴者が信じていた美しい物語がコテンパンに破壊されるんですけど、破壊された後に何か残る感じがします。

古沢:例えば「家族編」は、家族ってこういうものだというイメージを「打ち砕く」というよりは「解放する」というイメージで書きました。幸せって世の中が勝手に決めている価値観で、当てはまっていると幸福で外れていると不幸だって勝手に決めているけど、大きなお世話で。自分たちで勝手に決めてがんじがらめになっている価値観から解放された方が、人は自由だし、幸せなんじゃないか、という気持ちが多分あって。『コンフィデンスマンJP』では、それを意図的に書いています。

ーーセラピーみたいな話ですよね。

古沢:恋愛も幻想みたいなものですし、自由じゃないですか。どういう気持ちでどういう関係性でいようと。愛し合っているならいっしょにいなければいけない、裏切られたらかわいそうだ、みたいなものも全部取っ払った清々しさと解放感が残ればと思っていました。

古沢良太

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