『バンブルビー』意外な監督の人選が、『トランスフォーマー』シリーズにもたらしたもの
『バンブルビー』が親子の文化的なつながりを描いているのは偶然である部分もあるのだろうが、トラヴィス・ナイト監督がそれを熱く表現できているというのは、必然的であるように思える。彼は、個人的にも日本へ何度も足を運び、黒澤明監督や宮崎駿監督作品に親しみ、日本への理解をさらに深めている。ちなみに、初めて鑑賞した宮崎作品は、宮崎監督の劇場初監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)であったという。
本作には、崖に沿った道路を、フォルクスワーゲンの名車“ビートル”に変身したバンブルビーが、チャーリーたちを乗せながら警察車両とチェイスを繰り広げ、曲芸走行を披露する場面がある。それはあたかも、本シリーズのエグゼクティブ・プロデューサーであるスティーヴン・スピルバーグも激賞したという『ルパン三世 カリオストロの城』のなかの、ルパン三世の乗る小型車フィアット500が活躍する、同様のチェイスシーンを彷彿とさせる。ナイト監督がこのシーンを撮るにあたって、それが意識にないわけはないだろう。ゆえにこの箇所はナイト監督ならではの熱さを感じさせる。
主人公バンブルビーはオートボットの兵士として勇敢な存在ながら、記憶を消失し臆病な性格となってしまい、大きな姿でいろいろなものに怯える姿が愛らしい。問題によって本来の力を発揮できないという意味ではチャーリーと同じで、このコンビは友情を深め試練を乗り越える度に成長し、自分の可能性に目覚めていく。
ここで注目したいのは、声を出す機能を失ってしまったバンブルビーの感情表現だ。ライカ作品では、人形の動きによってそれぞれのキャラクターの心を表現してきたナイト監督だが、本作でのバンブルビーの動きはこれまでのものから飛躍的に繊細になり、観客の感情移入を誘う。これもまた、ナイト監督だからこそ可能になった部分であろう。さらに、数種類に変化するバンブルビーの顔の部分は、おそらく日本の文楽人形における、一瞬で移り変わる面を想起させるような演出が行われていてクールだ。
そんなナイト監督が改変したという、丁寧な作りの脚本は、『トランスフォーマー』第1作のやり直しのようにも感じられる。それはあたかも、ときに大味だと言われるマイケル・ベイ監督のシリーズとは異なった、もう一つの“あり得た”実写版『トランスフォーマー』だといえるだろう。
ベイ監督がこれまでに行ってきたのは、CG技術の発達と、『トランスフォーマー』シリーズだからこそ表現し得た、ダイナミックで未来的な映像表現である。「何が起こってるのかよく分からない」と揶揄されることがあるが、膨大な被写体が常に変化しながら動き続ける混沌とした映像世界は、人間の視認の限界に挑戦するような実験性を持っていた。