『グリーンブック』はアカデミー賞作品賞にふさわしかったのか? 批判される理由などから考察
第91回アカデミー賞の栄えある作品賞に選ばれたのは、黒人の天才ピアニストと粗野な白人用心棒が、人種差別が根強い1960年代のアメリカ南部を巡業しながら友情を深めていく、コメディー調の感動作『グリーンブック』だった。
ところどころに笑いの要素を散りばめながらも、同時に人種差別の理不尽さや愚かしさが描かれていく、娯楽性と進歩的な内容が高く評価された本作だが、これがアカデミー賞作品賞に選ばれたことに、じつは不満の念を示す声も少なくない。
同じ受賞式においても、アカデミー賞作品賞を争った『ブラックパンサー』の主演俳優チャドウィック・ボーズマンは結果に対して不快感を態度で表し、今回アカデミー賞脚色賞を受賞した、アメリカで人種差別についての映画を撮る代表的存在であるスパイク・リー監督も、本作が作品賞を受賞すると受賞会場からすぐに退席しようとした記者に対しては『グリーンブック』のことを控えめに「自分の好みではない」とコメントしている。
それにしても、なぜこんなことになったのか。本作『グリーンブック』は、本当にアカデミー賞にふさわしくない作品だったのだろうか。ここでは本作の内容を振り返りながら、この状況に至った理由と、作品の価値について考えていきたい。
リボンをつけたピーター・ファレリー映画
本作が賞に絡むような、上質さを備えた作品であることは確かだ。驚かされるのは、これが『ジム・ キャリーはMr.ダマー』(1994年)や、『メリーに首ったけ』(1998年)など、いままでお下劣コメディー映画を手がけてきたピーター・ファレリー監督・脚本作であるということだ。本作は落ち着いたトーンによって、いつもの過激ギャグを抑え、控えめなバランスでドラマが描かれていく。普段は権威から全く無視されている、悪ふざけが絶えないファレリー作品であっても、きれいなリボンをつけてやれば、アカデミー賞を獲得できるのだ。これは、かなり皮肉な事実ではある。
だが、さすがファレリーだと思うのは、社会的に際どい要素を扱いながらも、ギャグが冴えていて、ちゃんと笑えるところだ。本作では、実在の天才ピアニスト、ドン(ドナルド)・シャーリー(博士号を取得していることから“ドクター”とも呼ばれる)が、人種差別が横行していた南部を巡業し、用心棒としてイタリア系白人の運転手トニー・”リップ”・バレロンガ(ミドルネームは口が達者なことからの愛称)を雇う。トニーは豪快な人物で、車を停めては道端で小用を足すのだが、自分よりはるかに金持ちの主人が財布の中の金銭を盗むのではないかということを警戒して、わざわざ財布を持って外に出るのである。あまりのことに、あっけにとられるドンの表情が傑作だ。
ここでは、「黒人の多くは財布を盗む」という、ひどい偏見・差別が背景にあることが示唆されているのだが、その後、トニーが売店の商品をくすねる描写を入れることで、実際に物を盗んだのは白人の方だったというオチをつけ、深刻な要素が含まれるギャグをスレスレのところで成立させている。このような手際は、コメディーを撮り続けてきたことで体得できる、ハリウッド娯楽作品ならではの達者さとして、とくに評価できる部分である。