“不朽の名作”の続編の出来は? 原作の精神を守り抜いた『メリー・ポピンズ リターンズ』の価値
さらに、ポピンズの魔法は、前作同様に2Dアニメーションを合成したような画面で表現され、それがむしろ目に新しく感じられる。花びらが舞うアニメーションの美しさや、二次元的にラインが強調される衣装も面白く、これがただのレトロな表現を乗り越えているところは評価できる。
また本作のロブ・マーシャル監督は、舞台出身で、かつて『シカゴ』(2002年)でアカデミー賞作品賞を受賞しているように、ミュージカルとしての表現が得意なことは言うまでもない。前作の煙突掃除に呼応するように、ロンドンの点灯夫たちがダイナミックに踊るシーンは面目躍如というところだろう。とはいえ、本作の楽曲自体は、前作のシャーマン兄弟らのインパクトある仕事と比較すると幾分不満を持ってしまうことは否めない。名作とされた作品に並ぶためには、明らかにそれを超える部分がないと評価されにくい。このあたりは幾分、作曲家に同情を感じるところだ。
ポピンズがバンクス家に来たことで、問題は一つ一つ改善されていく。彼女はあくまでサポートに徹し、子どもたちを楽しませながら、それぞれ自分の力で未来を打開していくようにお膳立てするのだ。その慎ましさこそが彼女の大きな特徴である。そういう意味で“メリー・ポピンズ”とは、全ての人が心のなかに持っている、困難に向かって進むための力であり、人生を楽しむユーモアの象徴であるように感じられる。
前作の楽曲「スプーンフル・シュガー」では、「スプーン一杯の砂糖で薬を飲むのが楽しくなるように、つまらないように思える仕事のなかにも楽しい部分がある」とポピンズは子どもたちに教え、「チム・チム・チェリー」では、「煙突掃除はひどい仕事だと思うかもしれないけれど、ロンドンの屋根の上からの眺めは素晴らしい。なんて幸せなんだ」というメッセージがバートにより歌われていた。ここにあるのはユーモアを持つことと、偏見を取り去ることの重要性だ。
社会の厳しさのなかで、人は往々にして疲弊し、物事を楽しむことを忘れがちになる。そして、イギリスにいまも階級社会が息づいているように、既存の「常識」を受け入れ、いつしかシステムを維持する歯車となってすり減ってゆく。本作のマイケル・バンクスもまた、そういう大人になりかけていたのだ。
ディズニーの実写映画『ウォルト・ディズニーの約束』(2013年)は、1964年にディズニーで制作された『メリー・ポピンズ』の裏事情が描かれた作品だ。「不朽の名作」が作られるまでには、どうしても映画化を実現させたいディズニーと、原作となった児童文学 『メアリー・ポピンズ』の魂を守りたい作家P・L・トラバースの水面下での確執があったのだ。トラバースは、脚本や楽曲など、とにかくあらゆる部分に文句を言い、頑なに映画化を拒んでいたが、ディズニーの娘が原作の大ファンで、映画化を約束してしまったことを知ると、少しずつ心が動いていく。
そしてこの作品では、同時にトラバースの少女時代が描かれる。彼女の父親は、ものを書くことの楽しさを教えてくれるユーモアのある人物だった。しかし、銀行勤めのストレスで精神をすり減らし、彼は次第に家族を顧みず酒に溺れるようになっていく。原作『メアリー・ポピンズ』は、そんな父を救いたかったという想いが込められた作品だったのだ。トラバースの気持ちを理解したディズニーは、そのテーマを守ることを約束する。かくして、139分という長尺の実写映画が完成した。