さくらももこは“大小を行き来する”視点の持ち主だった 笑いでこわばりをほぐす名作群を振り返る
小心者のお人好し感がベースにある『ちびまる子ちゃん』と、善悪にとらわれずちょっとサイコパス的な暗黒面まで感じさせる『コジコジ』は作品の傾向として裏表であり、対になっている。どちらも、まる子、コジコジといったキャラクターが周囲とどのような関係にあるのか、俯瞰した視点から語ることで面白みが生まれている。
さくらももこはマンガだけでなく、エッセイや作詞など多方面で活躍したが、彼女の創作では視点のおきかた、動かしかたが大きな役割を果たしていた。例えば、子ども時代を回想したエッセイ集『まる子だった』に収録された「大地震の噂」。そこでは、東海沖地震への不安でクラス全員が憂鬱になったことが語られる。大人になってからも心配はなくならず、どうかやたらと壊さないでくださいと地球にお願いし、いや、お願いするなら地球を壊す兵器をたくさん持っている人間のほうがちゃんとせねば、などと話が大きくなっていく。なのに、今の一番の心配は、飼っているカメが下痢気味で尻が汚いことだと落とす。大局的な視点に立ったかと思うと、ちまちました日常の視点にいきなり戻る。それが、おかしい。
作者の視点の変化という意味では、『ちびまる子ちゃん』を連載し、アニメ化された後に子どもを生んだという変化もあった。先に触れた『まる子だった』収録の「休みたがり屋」では、作者がどれだけズル休みをしたがる子だったかが綴られていたのに対し、後のエッセイ集『さくら日和』の「ズル休みをしたがる息子」では、「そんなにズル休みばっかりしてると、警察に捕まって牢屋に入れられちゃうよ」と、過去に母に言われたセリフを今度は自分が息子に言っていることが書かれていた。自分の子ども時代を回想する視点と、母として子どもを見る視点とが二重になることを、作者自身も楽しんでいる文章だった。実生活の変化に応じて、さくらの視点も豊かになっていったのである。
そういえば、彼女は、自身の妊娠出産を扱ったエッセイ集に『そういうふうにできている』というタイトルを付けていた。「コジコジはコジコジだよ」のセリフに通じるフレーズである。ふり返れば、他には変わりようがないほど『そういうふうにできている』まる子、コジコジをはじめとする個々のキャラクターに様々な視点からツッコミを入れ、笑いでこわばりをほぐすのが、さくらももこだった。自分を素材にしたエッセイでもそうだった。だからこそ、自分が自分でしかなく、こういうふうにできている私たちに彼女の作風は響いたのだと思う。
■円堂都司昭
文芸・音楽評論家。著書に『エンタメ小説進化論』(講談社)、『ディズニーの隣の風景』(原書房)、『ソーシャル化する音楽』(青土社)など。