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姫乃たまのウワサの濡れ場評019

姫乃たまが考える“女性器と向き合うこと”ーー『スティルライフオブメモリーズ』を観て

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 何年か前に「まん拓」を取ったことがあります。とある文筆家の女性が出版に向けて千人千枚の「まん拓」を集めていたのです。紙にインクで転写された自分の女性器を見た気持ちはなんとも言えず不思議でした。普段見えないものが、目の前にありありとしているのです。目の前まで掲げてみると、やや高揚感すらあって、悪くない気分でした。

 出版された時のことを考えると多少の緊張はありましたが、転写された女性器は転写した時点の女性器であって、いま自分が所有している女性器ともまた違うものに見えたので、「これはこれでなんかいいな」という気がしました。しかし「まん拓」を世間に公開するには障害がたくさんあるようで、数年経った今日もいまのところ出版には辿り着いていません。猥褻な目的で生の女性器を露出するわけでもなく、参加した女性たちが署名までして承諾していても公開できない。女性器と向き合う行為は複雑で、多くの人が様々な感情を抱えているんだなあと思った出来事でした。

 そもそも女性器自体が複雑な存在で、男性器と違って物理的に向き合わないこともできます。女性器を所有している人は、自分の顔と同じように、直接自身の女性器を見ることは叶わないのです。

 だから小さい男の子たちが「ち○こ!ち○こ!」と大声でふざけ合う光景は見たことがあるけれど、「ま○こ!ま○こ!」と笑い合う光景は見たことがありません。なんだか得体が知れないからでしょう。しかし、女性器の得体の知れなさは小さい男の子に限った話ではありません。自分の性器を確認しないで一生を過ごす女性もいるはずです。

 誰しも他者の女性器を見ることは可能ですが、その女性器を自分自身の体に所有することはできません。目で見れば表面的な色や形はわかりますが、その深いところに何があるのか(あるいはないのか)はわかりません。しかし私たちは誰しもそこを通って生まれてきました(覚えてないけど)。

 映画『スティルライフオブメモリーズ』の中に「画家はなぜ自画像を描くのか」という問いが出てきます。自分自身のものであるにも関わらず、自分の目では見えない部分を確認して捉え直すという点で、自画像を描く行為は女性器に向き合う行為と共通しています。そしてこの「女性器と向き合う行為」が、この映画の主題です。

 主人公の男性がまるで妊婦の胎内を伺おうとするように、膝をついて湖に耳を押し当てる場面があります。女性器に向き合おうとするのはまさにそのような行為で、耳を中心にして波紋は女性器のように広がりますが、湖は広くて深く、深層はどうなっているのかわかりません。

 本作は写真家の春馬(安藤政信)と妊娠中の彼女・夏生(松田リマ)、そして2人の前に現れた女・怜(永夏子)が、春馬に自分の女性器を撮影するように頼んだことから始まる奇妙な三角関係の話です。

      

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