高畑充希演じる加穂子は本当に“社会不適合者”なのか? 『過保護のカホコ』共感度低い主人公の魅力

 高畑充希主演のドラマ『過保護のカホコ』(毎週水曜22時~/日本テレビ系)が思いがけず面白い。過保護に育てられたひとり娘が、ある青年との出会いを通じて母親の“呪縛”から解き放たれる……当初予想していたのは、そういう話だった。今年の1月期に放送された、波留主演のドラマ『お母さん、娘をやめていいですか?』(NHK)のような。けれども、いざフタを開けてみたら、高畑演じる主人公・加穂子は、こちらの予想を遥かに上回る、度を越した“過保護娘”だったのだ。

 現在、就職活動中の大学生である彼女は、今日も母親相手に面接の練習中。「ママだったら、こう言うわ~」と言いながら、しれっと自分の意見を押し付ける、黒木瞳演じる母親・泉の言動が早速怖い。しかし、そんな母親の言葉に疑問を持つことなく、「ママ~、今日、加穂子のビデオ何にする?」と言いながら、自らの幼少期を映したホームビデオを母親と仲良く鑑賞する加穂子。その素直さも、何やらすごく怖い。いつの時代も母と娘のあいだには、いろいろあるのよねえ……そんなことを考えながら、“共感”する気満々でこのドラマを観始めた視聴者の多くは、やや腰が引けながらこう思ったに違いない。「過保護云々以前に、この子、大丈夫なの?」と。だが、そこでひとつ冷静に考えてみてほしい。名作と呼ばれるドラマや映画の主人公の多くは、最初からいきなり観る者の“共感度マックス”で登場したりはしないということを。

 たとえば、『あまちゃん』(NHK)で能年玲奈(現・のん)が演じた主人公。あるいは、『表参道高校合唱部!』(TBS)で芳根京子が演じた主人公。映画『ちはやふる』で広瀬すずが演じた主人公だってそうだろう。物語の導入部において、必ずしも彼女たちは、“共感度”の高いキャラクターとしては描かれない。むしろ、共感度の低い異彩キャラである。マイペースと言えば聞こえはいいけれど、まわりの空気を読まずに猪突猛進する彼女たちは、共感度云々以前に、どこか変わったキャラクター……もっと言うならば、「この子、大丈夫なの?」と思わずにはいられない、強烈なキャラクターとして登場したのではなかったか。

 その意味で、本作の主人公・加穂子は、高畑の体当たりに近い熱演もあって、なかなかどうして強烈なキャラクターとして登場した。単に過保護な家で育ったのみならず、納得いかないことがあると妙な表情を浮かべながらフリーズし、頼み事があるときは潤んだ瞳で相手を見上げ、お腹が空くと意識が朦朧となり、食欲が満たされると所構わず眠ってしまう。ほとんど、漫画のキャラクターである。しかし、どうやら悪い子ではないようだ。むしろ、他人に気を遣い過ぎるがゆえに、相手に自分を合わせてしまう、そんな素直さを持った女の子かもしれない。というか、過保護に育てられた自分を卑下したり、そこにコンプレックスを持っていない性根の明るさを持った女の子のようだ。そんな彼女の内なる魅力を最初に発見したのは、ふとした機会に加穂子と知り合った、同じ大学に通う青年、竹内涼真演じる麦野初だった。

 初対面からぶしつけで言葉を選ばない麦野は、家族でも友だちでもないからこそ、まわりが指摘しないであろう加穂子のおかしなところをズバズバと指摘する。いっぺんにたくさんの物事を考えたり、込み入った話を理解するのが得意でない加穂子は、そんな麦野の言葉を適度に聴き流しながらも、これはと思ったことについては深く感じ入る。「お前は何のために働くんだ?」。毎回必ず繰り広げられるこのやりとりが、とてもいい。どこで覚えたのか知らないが、軽妙なノリツッコミを交えながら、傍から見ればほとんど漫才のような会話を延々と繰り広げる“ツッコミ”麦野と“ボケ”加穂子。気がつけば、ナイス・コンビネーション。何やら微笑ましい光景だ。そのやり取りを通して視聴者は、いつしか加穂子に対する違和感を緩和してゆき、こうと決めたら全力で頑張る、そして唐突に全力疾走で走り出す彼女のことを、やんわりと応援するようになっているのだった。

 そこでひとつ、新たな疑問が湧いてくる。就職活動では軒並み書類選考で落とされ、父が手配したコネ入社もかなわず、挙句の果てには母に「花嫁修業をすればいいじゃない?」と、やんわり就職をあきらめることを促される加穂子は、果たして本当に、親の庇護のもとでしか生きられない“社会不適合者”なのだろうか。確かに少々変わったところはある。けれども、それはむしろ、彼女の家庭環境によるものも大きいのではないだろうか。そこに彼女本人が無自覚であるがゆえに生じてしまった、ある種の困難なのではないか。麦野のさまざまな言葉から、大いなる“気づき”を得た彼女は、激しく混乱しながらも、やがて少しずつ変化と成長を遂げてゆく。

 さらに、もうひとつ。そもそも、問題を抱えているのは、加穂子本人だけなのか。夫や娘、自分の親族に対してはテキパキと振舞い、「加穂子には向いてない」、「加穂子はこういうのが好きよね」など娘の個性を限定する“呪い”の言葉をまき散らしながら、夫の実家では借りてきた猫のようになってしまう母親・泉はもちろんのこと、本作の登場人物のなかで唯一モノローグでその内面を語ることを許された父親・正高(時任三郎)も、万全とは言い難い。苦笑いを浮かべながら、モノローグで妻や娘にツッコミを入れている場合ではないでしょう。というか、妻のテリトリーをグーグルマップのように妄想したり、自分の家族や親族をいちいち動物にたとえるセンスも、微妙にハズしている気がしないでもない。端的に言って、どこか他人事なのである。さらに、加穂子のことを、「可愛いなあ」、「優しい子だあ」ともてはやしながら、その才能や可能性は、特に認めていないところも気に掛かる。これはこれで、ライトな“呪い”と言えなくもないだろう。

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