沢尻エリカと小池栄子、迫真の演技から目が離せない 『母になる』が問いかける深いテーマ

 『母になる』が面白い。現在毎週水曜日10時に放送されている日本テレビ系ドラマ『母になる』。『光とともに…~自閉症児を抱えて~』、『ホタルノヒカリ』、『つるかめ助産院~南の島から~』などの脚本家・水橋文美江が手がけた。

 沢尻エリカ演じる主人公・結衣の息子が3歳の時、突然誘拐された。物語は、結衣が9年の時を経て、なぜか養護施設に預けられていた息子と再会することで動きはじめる。誘拐がきっかけで一度バラバラになった家族を元に戻そうと、夫・陽一(藤木直人)や義母(風吹ジュン)と共に9年の空白を埋めていこうとする結衣だが、実は息子・広(道枝駿佑)は、行方不明になっていたほとんどの時間、1人の女性・門倉麻子(小池栄子)によって親子同然に育てられていた。産みの母と育ての母、それぞれの立場で息子・広を愛する沢尻エリカと小池栄子2人の迫真の演技に目が離せない。
 
 特筆すべきは小池栄子が演じる門倉麻子である。少し咳き込みながら、夜中のコンビニで缶ビール1本と幕の内弁当をカゴに入れ、さらにもう1本ビールを追加し、ちらりと周囲を窺う最初のシーンから、彼女の孤独に引き込まれた。その1シーンだけで彼女のそれまでの人生が垣間見えたのである。彼女は空き家のはずの隣室から子供の泣き声を聞いて、育児放棄だと思い、その子供を育てはじめる。それが、誘拐された結衣の息子である広だった。広が麻子をママと呼び、駆けてくる姿を見た時の弾けんばかりの笑顔や、連なって飛ぶ2連の飛行機雲を見つめて幸せそうに微笑む姿は、このドラマのテーマである「いとしさ」に溢れている。

「その人のことを思うとね、心がギューとなってキューンとなって泣きそうになるの。そういう気持ち、“いとしい”って言うんだよ」

 これは、1話で3歳の広が、保育園で習いたての曲の歌詞に影響されて母親・結衣に言った言葉だ。その現象は、麻子が「誰かに会いたいと人は寂しくなる」と言うように、「いとしい」であると同時に「寂しい」ということでもある。結衣、麻子、そして広の3人は、いとしい誰かがいなくなった空白とも言うべき「ギューとなってキューンとなる」寂しさをそれぞれに感じ、それを愛で埋めようとする。だが、愛ゆえにすれ違っていくのが切ない。

 広にとっての「ママ」は、誘拐される3歳までは結衣で、それ以降は麻子だ。結衣と再会した後、広が結衣のことを「お母さん」と言うのは、麻子が施設に広を預ける時に渡した手紙による指示に従っただけだった。3話までの広の「新しいお母さん」である結衣に対する違和を感じるほどの従順さは、大好きなママ・麻子との共犯関係によって成り立っている。2話の終わりに結衣が読んで衝撃を受ける麻子の手紙はなかなかのホラーだった。これまで素直で可愛かった広の言動は、全て麻子に指示されるままの芝居だったのだ。その後両親と共に暮らすことになり、家族やその友人たちと打ち解ける一方で、彼はその詳細を写真に撮り続け、逐一麻子に報告する。素直でいい子を演じる反動として、彼は麻子との共犯関係を心の拠りどころとすることで、追いつかない心の均衡を保っていたのかもしれない。だがその共犯関係は、広の幸せを願うからこそ突き放した麻子によって崩れてしまう。心の拠りどころを失い、絶対的な愛に裏切られ、逃げ場がなくなってしまった彼は、彼にとっては新しい家族である「本当の家族」とどう向き合っていくのだろうか。

 一方、沢尻エリカ、藤木直人演じる結衣と陽一夫婦である。順調に愛を育み、順風満帆だった彼らは、息子・広の誘拐を機に少しずつすれ違っていった。広と再会し、また家族になるために、離婚していた彼らは再び夫婦になる。3話で、陽一が壊れた洗濯機を買い換えるのではなく懸命に修理しようとするのは、一度壊れてしまった、そう簡単には元に戻らない家庭をこれからゆっくり再生していこうという意志なのだろう。敬語が入り混じったぎこちない夫婦の会話は、9年前の記憶や時には相手を思う優しい嘘によって途切れた時間を繋ぎ合わせ、過去には気づかなかった互いへの新しい発見を積み重ねていく。

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