ジャ・ジャンクー最大のヒット作『山河ノスタルジア』は、新時代の中国国民映画となる

西洋化が生み出した、中国を引き裂く「断絶」

 

 本作『山河ノスタルジア』は、カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した前作以上に、これまでに高く評価されてきたドキュメンタリー風の手法による前衛的な演出よりも、ドラマとしての魅力を追求している。そのせいもあって、これまでのジャ・ジャンクー作品に比べて、かなりオーソドックスで見やすいものになっている。面白いのは、ドラマを時代ごとに、1999年(過去)、2014年(現在)、2025年(未来)と、三部構成で親子二代のドラマを描くという試みだ。それぞれの時代で、画面サイズも変化していく。そのように分かりやすいコンセプチュアルなスタイルによって、監督の公私にわたるパートナーである、チャオ・タオ(趙濤)が演じる女性「タオ」と、その息子の目を通して描かれるのは、やはりそれぞれの時代の中国の光と影、とりわけ「影」の姿である。

 ペットショップ・ボーイズのカヴァー曲「GO WEST」をBGMに、若者たちが健康的なダンスを繰り広げる、幾分滑稽に見えるシーンで映画は始まる。ヴィレッジ・ピープルが、ゲイの聖地と呼ばれるサンフランシスコを目指そうというメッセージを込めたという原曲「GO WEST」の基になっているのは、アメリカ西部開拓時代のスローガン、「西部へ行け、若者よ。この国とともに成長せよ」を引用したものだ。実際に90年代当時の中国のディスコで、この曲が流行っていたというが、ここでは、当時のアメリカ同様、これからの中国の輝ける経済発展を暗示するとともに、中国社会のむやみな西洋化志向を皮肉る意味でも使われている。 ジャ・ジャンクー監督は、過去作『青の稲妻』で、やはりチャオ・タオを、ディスコにて『パルプ・フィクション』のユマ・サーマンをイメージした姿でダンスさせているシーンを撮っている。カンヌを席巻し、90年代を代表する作品となった『パルプ・フィクション』に強い影響を受けた過去すらも、本作ではいささか自虐的に振り返っているように感じられる。監督自身も、やはり西洋化の波に乗ろうとする若者のひとりだったのだ。

 

 「過去」のパートで描かれるのは、ヌーヴェルヴァーグを想起させる三角関係であるが、カネの力でのし上がり、海外でのビジネスへ手を伸ばそうとする青年ジンシェンと、炭坑で働く貧しい青年、そのどちらかを選ばなければならないタオの状況、そして彼女が前者を選択するという展開は、まさに拝金的な価値観、西洋的な方向に向かう中国の変容を象徴するものだ。タオに見捨てられる「古い中国」とは、本作に何度か姿を見せる中国の神「関帝」の像や、偃月刀(えんげつとう)を持って往来を歩く子供などのイメージによっても象徴される。ドイツの輸入車が古い石碑にぶつかり動きを止めるというシーンでは、伝統的な「古い中国」が、新しい西洋化の進行を妨害するものとして意味付けられている。二人の青年が激しくぶつかるのと同様、やはりこの二者は交わることのできないものなのである。

 ジンシェンは好景気の波に乗ってビジネスを拡張していくが、もう一方の青年は過酷な労働環境にさらされ、大量消費社会の犠牲となっていく。ここで描かれる明暗は、著しい経済発展のなかにあっても利益を得られず見捨てられていく人間がいる社会状況の痛烈な批判ともなっている。前作、『罪の手ざわり』もまた、社会から切り離された者たちが犯罪に手を染めてしまうという物語であったように、近年のジャ・ジャンクー監督は物語によってテーマを暗示するという方式へとシフトしてきている。だが、それまでの現実の中国の光景を「切り取る」即興的なスタイルは、劇中に当時撮られた本物の映像を挿入するという演出によって継続されている。

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