コメディに『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』方式を応用!? 『世界の果てまでヒャッハー!』の衝撃
映画にとって“語り口”は生命線ともいうべきものだ。どんなに魅力的なストーリー、キャラクター、豪華絢爛なセット、仰天のクライマックスを擁していたとしても、語り口が魅力的でなければすべては無に等しい。逆に、乱暴な言い方をすると、仮にこれらすべての要素を兼ね備えていなくても、語り口さえ際立っていれば全ては自ずと魅力的に見えはじめ、語り主はそうやって観客を煙に巻いたまま、まんまと逃げおおせるのかもしれない。ちょうどそんな具合に映画の勢いになぶられて、上映中大笑いしてしまったのがフランス映画『世界の果てまでヒャッハー!』だ。
フランスで公開されるや2週連続で興行成績NO.1を獲得し、その後8週連続でTOP10入りを続けたという本作。フランス人御一行様がブラジルのリゾート地にて陽気にはしゃぎ回っていつしか秘境へと足を踏み入れてしまうーーとまあ、ジャンル的にはさながら『ハングオーバー』シリーズを彷彿とさせるノリのコメディなのだが、しかしその語り口はそこらのコメディとはまるで異なる。前半部こそ誰もが浮かれて奇声を発するくだらない場面が続くものの、後半は一転し、彼らは一台のハンディカムを残して忽然と消息を断つ。残された者たちは記録された映像を再生し、彼らの身に一体何が起こったのか息をのむ覚悟で見届けることになる。つまりこれ、コメディながらも、いわゆる“ファウンド・フッテージ”を内包した語り口となっているのだ。
このファウンド・フッテージと聞いて真っ先に思い出すのは、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』だろう。まだYouTubeもない時代に降臨したこのホラーの“ファウンド”感は、映像から受ける独特な気色の悪さが心にベットリとした手跡を残した。もちろんファウンド・フッテージはホラーだけではない。『クローバーフィールド』ではハンディカムの主観映像を通じて巨大怪獣の進撃を描き、観客がまったくもって全体像を把握することができない点が画期的だったし、さらに『クロニクル』でもハンディカム映像がその大部分を織りなし、VFX加工した超能力シーンの臨場感のみならず、少年の心の襞までも映し出すかのようなタッチが生々しかった。
これらの語り口が狙うのはいずれもリアリティの極致だ。映像の質感がこうして独特な粗さを呈しているが故に、観客はその映像と自分との間に何ら他者の手が介在していないリアルな状態に触れたような気分にさらされる。さらにこうした映像を撮影した本人が行方不明であるという点もファウンド・フッテージの特徴。これまた話者の辿った運命を示唆しているかのようで、なんとも言えない不気味さが先行する。